>>446
それはだから、唯識の「後得智」のことを言っているのだろう?

そもそも、空即是色 と帰るとき、「我」は無くなっていると考えなくてはならない。

なぜなら、色即是空 と、色はすでに空と看破された後だから。

だから、もし、空即是色の「色」が、ある一定の枠を持つものということであれば、
それは消えたはずの「我」が存在していることになる

後得智が自分の思考分別ではなくて、自然法爾によって現れるものであれば、
それは「我」とは言えないから、
空即是色でも矛盾はしないだろ

これを実体の延長で捉えるから、我的な枠のあるものとして捉えちゃうことになる
そうすると、空にならない