>>207
それもだから二僧卷簾の話と同じで、頭で二つの話を考えちゃってるのよ
たとえば、そこでいう、王法と仏法、というのがあるでしょ?
これを頭でゴッチャにしてるから、麻原が救われるというのを、同じ頭で理解しなくちゃいけなくなっちゃう
そうすると、納得できない部分もあるわけだよね

この王法と仏法というのは、蓮の花に喩えれるわけだよね
王法・・そこで言えば、「世間の常識、いわゆる法律であり、」 ということになるのか、

この世間の常識・・ というのは、人間の思考分別の世界
これは言ってみれば、泥の世界なわけ

いっぽう、仏法とそこで言ってるのは、蓮の花のこと
この蓮の花と泥を一緒に頭で考えようとしてるから・・・、つまり、
蓮の花を泥の世界で並列に考えているから、麻原が救われることを頭で納得しなきゃいけない状態になっちゃう

つまり、二僧卷簾で、分別の世界ですべて型を付けようとする姿勢と同じなわけ
それをたとえば、この花瓶は花瓶と呼ばずして何と呼ぶ? と問われたとき、
ポーンと花瓶を蹴っ飛ばす・・・ つまり、
分別思考の世界を蹴っ飛ばす、ということになるわけだよね
それが中道ということ