聖コルンバヌス 543頃-615/11/23
北アイルランドのレンスターの出身の聖人 
ウエールズのバンゴール修道院の修道士
小コルンバと称される。
590年バンゴール修道院の12名の弟子と大陸に渡来し
フランクのブルグント分国領のブルゴーニュの北部アルザスのボージュ山地に
アンネグレイ,リュクスイユおよびフォンテーヌの諸修道院を設立した。
多くのフランク貴族の子弟を修道士として教育した。
ケルト教会の異質な慣習であるアイルランド的な剃髪,典礼
および復活祭日算定法など導入し、
その厳格な禁欲苦行の修道に、反感と反対を受けてフランク教会と対立し
またブルグント分国王テウデリヒ2世の庶子への祝別拒否によって
同王の母后ブルンヒルデの怒りをかい
603年コルンバヌスはボージュの地を追放され、
ペレグリナティオ(異郷遍歴)としてガリア各地を放浪し
ついにはローマをめざして,ライン川を遡行した。
コンスタンス湖近辺で宣教。
ボーデン湖畔のブレゲンツと北イタリアのボッビオとに修道院を設立し
修道生活の興隆に努めた。
伝道者コルンバヌスと弟子たちの創建になる諸修道院は
ロンバルディアを経由して入って来た東方のモティーフや
グレート・ブリテン諸島の伝統的装飾を継承する写本画を
大陸で開花させた(リュクスイユ,エヒテルナハ,コルビー)。
コルンバヌスはローマに達することなく、ボッビオが終焉の地となった。
祝日は11月21日。