>>929
尊敬される余り、後代の佛教徒が話を盛って盛ってセレブにされてしまったが
釈尊の釈迦国は、コーサラ国に支配される釈迦村や。
王族とかない。父は互選で選出された村長にすぎん。カースト制もない村や。
その貧しい村もコーサラ国に併呑されたが、併呑したコーサラ国はすぐさま
マガダ国に戦争で負けて滅んだ。
譬えるならば、底辺の釈迦村出が釈尊の実態や。
しかも出家後は、求道者としてマガダの首都に出るが瞑想家二師に仕えるが
落ちこぼれ、五比丘と共に修行林で苦行するが落ちこぼれるという求道においても
最底辺だ。セレブ性がゼロや。
ゼロというどん底にあったからこそ、スジャータの乳がゆで復活できたわけや

かかしと同じ底辺や。
ただ、釈尊がかかしと違うのは、どや顔で説教をせん。
相手に合わせて敬意を払って法を説かれるんや