神とは、
宇宙の偶然を司る見えないペルソナ。
聖霊の源。
アルファでありオメガである、永遠の存在者。
だが、宇宙のどこを探しても、そのペルソナは実在しない。
そのペルソナは最も近いところ、すなわち心の内にある。

動物の本能は信仰に似ている。

ヨハネによる福音書10章14節〜
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、囲いに入っていないほかの羊もいる。
その羊を導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は
一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

無神論者が無神論を語るのは神の羊でないからにほかならない。
創世記に登場する蛇は神から離反したルシフェルという名の元々天使長の分身
として描かれた象徴で、ルシフェルは素晴らしく美しい天使で知恵も高かった。
元は「良き」者だったが、己に惚れ込んでしまった。
己の位置から離れておまいら無神論者の神であるサタンになって
「神はいない、俺を崇拝しろよ」と誘惑しているわけだ。

「神はいない」という主張は実は理性によらない信仰のひとつなのである。
真に科学的立場とか、理性的立場で言うなら、神の実在あるいは存在は
「知らない」である。在るとも、ないとも言える。ただ、確実なのは、己の心
の実在である。が、他者には反応としか見られず、信仰に似た信頼関係
を通して知られるほかない。神も同じ。
そして、おまい自身の意思決定はおまいだ。
でなきゃ、おまいは存在していない。
だから、おまいの運命はおまいに責任がある。

この世界を神は良きものとして創造された。
言わば、神は特上の画用紙と絵の具と筆をお与えになった。
絵を描くおまいが、へたくそなのは画材が悪いと言ってるガキの
構図だ。

創世記 1章31節
神が造ったすべての物を見られたところ、それははなはだ良かった。
夕となり、また朝となった。第6日である。

https://www.youtube.com/watch?v=DKOPBjKm0k0