唯物史観の誤り
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テーラワーダも唯物論?(禅も多い?)
それは東洋的世界観と対立するだけでなく、
本当の仏説にも反する(しかし、仏教にも色々ある)
唯物論は全ての悪の根源なり
それら仏教と唯物論について論じるスレです。
また、スリランカから来た坊さんの詭弁についても追及します。
ウィキペディアにスマナサーラの本からの受け売りが典拠になどされているのは、おかしい。
内容的に疑わしいものがある。
仏教と唯物論の関係
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13233732823 日本弁護士連合会のサイトの中に
「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html
という日弁連が出したPDFファイルがある
(1999年3月26日)
内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言する、というもの
なかなか興味深い資料ですな 破戒僧率いる日本テーラワーダ仏教協会
スマナサーラの嘘を指摘し、頭のおかしくなった信者を更生させる
スマナサーラ 批判
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535982873/ 第三回 現代仏教塾3 「初期仏教の輪廻思想」業とは何か?
https://youtu.be/9wzLrvLA3rk 現在、欧米でキリスト教として信じられているものは
ユダヤ人による差別システム維持のためのマインドコントロール装置に
ミトラス教伝説などを組み込んだ
脱構築偽装の幻影 現在、欧米でキリスト教として信じられているものは
支配を企む者らによる差別システム維持のためのマインドコントロール装置に
(大衆にとって新鮮で魅力的に見えた)ミトラス教伝説などを組み込んだ
脱構築のフリした共同幻想 実念論
普遍的なものとしての概念が実際に存在すると考える立場。個物の存在しか認めない唯名論と対立する。 >>1
スマとかは、ただの囮に過ぎん
いわばオズワルドだ。一種の天魔だが、さらにその背後には
黒幕がいる 十二縁起(じゅうにえんぎ)は、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。
また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟る。
その際には苦悩が消滅し、根源の無明が消滅しているため輪廻もなくなるとされる。 豚魔米痴は上智の英語学科出身
> 緒方貞子をGoogle検索すれば、元国連難民高等弁務官であり、上智大学名誉教授と出てくる。 ...
国連、JICA、ロックフェラー財団、世界銀行、IMF、CIA、CFR、NSA、CSIS、イエズス会、ジョージタウン大学、上智大学
>ロックフェラー、カーネギー、ルーズヴェルトは皆、フリーメイソン、又はイルミナティです。
> 上智はもちろんキリスト教の大学です
>日本で有名なのは、上智大学です。
昔からイエズス会は国の中枢にイエズス会士を送り込み、国家を操ってきました。
例えば、アメリカではブッシュ家、日本では麻生太郎が有名なイエズス会
イエズス会はディープステートの頂点に位置する
https://ameblo.jp/miracleangler/entry-12615844900.html
ロックフェラー お金の教え 上智大学ソフィア会
http://www.sophiakai.gr.jp/book/post_67.html >そもそも唯識では決定心=末那識
八識の相互作用
阿頼耶識は神秘的で気を引くけど、実践に際し、重要なのは末那識の観察・戒め
>多川さん曰く
「第二能変は, 末那識です。 自己への激しい執着が認識対象を能変する―。
そして, それらの影響のもとで, 意識・前五識が具体的な了別作用, すなわち, も
のを知り分けるはたらきを起こすのだというのです。」
1.末那識が阿頼耶識を能変する
2.能変された阿頼耶識が意識・前五識に影響する
3.阿頼耶識を通して末那識に影響された意識・前五識が、具体的な了別作用をする
というのが凡夫の心の構造なんです。 いぬやまさんは、法華会の宗教文化誌『法華』の出版営業絡みで下っ端事務とか
の可能性はあるが
どうも品性下劣な雰囲気からして日蓮系仏壇メーカの営業事務あたりではないかなと
推察はできる 昔の(今でも)中央省庁の役人とかボケ老人は
カタカナ英語を使えば日本人を洗脳できると調教されてて、
官庁の文書もバカみたいな和製英語が並んでたものだが、あのアフォな
スレ名もまさにそれだな 多神教の影響が強い密教とゴリゴリの一神教は水と油の様に交わらず 戦国時代の日本に訪れた宣教師達は空海を悪魔としてヴァチカンに書簡で紹介したりもしています アフォダンスなんたらスレの心理学説は全く説得力を欠くが、もし少しでも騙される人がいるとすれば、
それは「多義の虚偽」のせいであって、たとえば聖書と同様、
「言語」という名辞の定義が曖昧だから
である。 自分が変性意識に入ると、近くにいる他人も同調して、変性意識に入りやすくなる。
相手の認知システムの中にある情報空間にアクセスして、影響を与えてしまう。それ、
カルトのマインドコントローラも、薬物使うキメセクで女の子を虜にして貢がせるヒモ役
のホストもしてる心理操作だよ キリスト教も正宗や学会の教義も
所詮は共同幻想なり オカルト・疑似科学団体と密接な下村博文自民党政調会長。
ワールドメイト系から500万献金の大臣も
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e04a07df32a01d488b75ce6ff0055c2203a118a
「際立って目立つのはワールドメイトだ。
ワールドメイトと関わりを持つ閣僚は平沢勝栄・復興相1人だが、
政務官にも4人、自民党4役にも1人いる。
全て含めると、第2次安倍再改造内閣の2人から6人へと増えた。
しかも平沢復興相は群を抜いてワールドメイトとの関係が深い。」 量子物理学では、それ自体で成立している物質は存在しない 唯一の死亡体験者である木内鶴彦さんは
自身の経験から、臨死体験として多くの人が語っているのは幻覚であると結論
付けていました。木内さんの話は説得力もある一方、織田信長は殺されずにバチカンへ行っていた等、興味深く必ずしも否定しきれない”目撃談”を残してます。
臨死体験と死後の世界
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1605926920/ >現在、欧米でキリスト教として信じられているものは
支配を企む者らによる差別システム維持のためのマインドコントロール装置に
(大衆にとって新鮮で魅力的に見えた)ミトラス教伝説などを組み込んだ
脱構築のフリした共同幻想
つまり大衆は常に「社会が悪い、改革しよう」と望む
しかし権力側は、それを常に先回りして支配の道具(宗教という装置)へ取り込み、
逆らう者を捕獲する。それ恰も現代の創価カルトによる洗脳や三権への侵入や秘密裡に
為される暗殺の アナートマンに固執して、ブラフマンどころかプルシャも見てない
南伝系や
その亜流は全部、
デタラメ
ちなみにインド哲学の宮元啓一名誉教授によれば、
龍樹はインチキ、となるようだ。当方は、その見解には同調しない。
また彼からすれば、上座部や分別説部も傍流の小者であり、方便や立場によって、色ん
な見方が有り得るのが見えるというだけ。 あほの大山くん
>三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別
>(華厳経)
華厳経ではないぞ。
これは華厳からインスパイアされた道元の解釈だ。
『正法眼蔵』三界唯心の巻である。
ちなみに
『華厳経』(八十巻本)第三十八、離世間品の本文に
「三界所有唯是一心」
『華厳経』(六十巻本)第三十六、夜摩天宮菩薩説偈品の本文に
「心仏及衆生是三無差別」
こういう基本無知のシッタカが大山君らしいが >頭の中を同じ台詞が繰り返すのは強迫性障害(OCD)の疑いあり 低能疹言や鹿野苑のレスは読んでも意味がない ← 一見よさげでも肝心な点に独自見解や迷信が混じり危険。
福音さんや唯識スレで鹿野苑に教えてる名無しの人とかのほうが、ずっとよい
あとポッタンも時々よいレスはある。(但し増谷フリークらしいのはいただけない)
コテは確かに9割ダメ 華厳経の宇宙観・須弥山と現代の宇宙論を繋ぐ視点
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1606429843/l50
ダライラマの華厳経批判は現代科学への無理解にも原因がある。
須弥山とは、宇宙の歴史やトーラスなど
目に見えない時空の構造を表現した象徴である可能性がある
たとえば次の宇宙進化のイメージは、
左右と上下、下と上を逆にすれば、「山」の形に見えなくもない。・・・ 日本人の心は米国由来の浮薄なる価値観に影響され
電波や活字をはじめとした広告媒体による洗脳で
大きく歪められている。宗教も例外ではありません。
目覚めなさい 意識が何か分らんし
量子世界に固形物質は無いし
エネルギーも時空もその本質が何なのか分らん
究極は全方位不可知 🙇 まさに
それが「空」であり。
真に幻の如く、実体無き現実の正体
という事 山川草木悉皆成仏
荒廃した精神が荒廃した世界をつくった
ならば、心を豊かなものに変える
必要がある アナートマンにしろ真言俗信にしろ
ブッダが否定し戒めた非合理な迷信への
しがみつきが現代に残っていて、カモが狭い知識の檻で奴隷に
されているのだ スリランカもそうだが、大乗発展以前の部派も真我や無我の解釈がおかしい。今の真我否定者の真我理解が錯誤である。
現代言われる真如や一心と同じ意味で捉えて問題ない。五蘊を越えた世界なのである。
所謂、大乗におけるそれらの文言は、行き過ぎた無我観の修正としての意味もある
4ニカーヤと呼ばれるものは、かなり変形されたものである。
ちなみに
「空」も古代インドで
とうに説かれている。他にも大乗で復活したキーワードはあるが、
空も実は焼き直しなのである。 >現存パーリは異端の流れ、
と見る立場もあるようだよ。
釈尊その人の言ってたことから離れてしまっている、と。 >宮元氏は、「自己」は「五蘊」から独立し、「五蘊」を照射するから「五蘊非我」であって「無我」ではないと主張する。
しかし、パーリ仏典長部・戒蘊篇U「第9 ポッタパーダ経」(片山一良訳)の「想と我の話」の中でポッタバーダ遍歴行者は世尊に
「想は人の我なのでしょうか。それとも想と人の我は異なるものでしょうか」と質問する。世尊から「あなたは、我をどのように了解しますか」と
問われたポッタパーダは世尊と三回の質疑応答を行う。
【1】我は、粗い、色があり、四大要素からなり、物質食を食べるものと了解。
これに対し、世尊は「想と我は異なるものになる」と答え、「諸々の想は別に生じ、諸々の想は別に消滅する」からだと述べます。そこで、
ポッタパーダは別の考えを述べます。
【2】我を、意から成り、大小すべての四肢があり、欠けるところのない感官を具えたものと了解。
これに対し、世尊は「想と我は異なるものになる」と答え、「諸々の想は別に生じ、諸々の想は別に消滅する」からだと述べます。そこで、
ポッタパーダは別の考えを述べます。
【3】我を、色がない、想から成るものと了解。
これに対し、世尊は「想と我は異なるものになる」と答え、「諸々の想は別に生じ、諸々の想は別に消滅する」からだと述べます。 無明の輩は己の経験により
つくられたイメージを対象に投影し、対象もその如くだと思い込む。
浅き誤解にしがみつく徒の真我観を対象者のさとりに敷衍しようとしても
しくじるだけであろう 有るもの見えるものだけが絶対だと盲信してしまってる訳ですね。
>英語圏でもパーリ仏典全体が歴史的なブッダの言葉だと言い張る研究者がまれにいますが、
パーリ仏典が上座部大寺派というスリランカの一派の伝承であって、
それ以外の派には別の仏典伝承があったことは疑う余地がありません。
現存パーリは異端の流れ、
と見る立場もあるようだよ。
釈尊その人の言ってたことから離れてしまっている、と。 >良く存在とか言われてるの、仏教的な解釈だけでは本質は掴めないよ、特に唯識はマナ識に対してアラヤ識を立てるけど、
ヨガでは我執(マナ識)を挟んで貯蔵庫で、大我執(アラヤ識)と真我(真の鑑賞者)の3つをたて、真我の上にブラフマン(宇宙的存在意識)をおきます、
そして、臨済が言った面前を出入りする生き物(悟りの当体)と、展開する世界をも含めたものを真我とするのです、般若心経はこのことを言っています、
素領域理論でも同じことを言っていますね、自分の見ている世界はその個人だけの世界空間であって、それを素領域と言い、その素領域は他の素領域と部分的に重なりながら全体の無限個の意識空間の塊を形作っていると、
サーンキャでも無限個のアートマンの総体がブラフマンであると言ってて、同じです。
金剛般若経の否定の否定とか、最後の最後に解るのが、存在そのものを在らしめる「多次元空間=多次元意識」この空間だけでは無いので、光と同じこと、紫外線赤外線は目で見えないが、それ用のカメラでは像として映ります、同じ理屈で色界の上に無色界が説かれていて、それが多次元宇宙です、
そして、釈尊の悟ったものとは、この多次元宇宙を在らしめている、一つの空間意識であって、これを神の命、大生命とも言います。
非常に広大で深く高い無限ではありますが、空にして無でもあり、名状しがたく、これを如とし、如来と言います。 インドの伝統にも良い部分はあるのですが、現代の在家真言などは、
悪いヒンズー俗信と同じ穴のムジナです
無我の誤解の感染は心の病を生むだけ
気をつけましょう ところで 🙇
電磁波という物理量(波長・振動数)に
≪色彩≫を感じるのは心・意識だけである 🙍
脳も物理事象であるから物理量しか扱えない 👴 波長 とは
精神による物質世界への働きかけ という見方もある
そのように観察する時、心と物質世界は究極的に
不二一元である photon has two properties of a particle and a wave. 光子は粒子と波動の二つの属性を持つ ペラ物理観測では捉えられていないが
≪意識波(メタ事象)≫の存在も否定し難い 🙇 「霊波」と教団が称する一種の神通力により、病や苦しみから救われ奇蹟が起こると教団は主張しており、「人類救済」「世界平和の実現」を目的としている。創始者である波瀬善雄は、教団では「神の分身」「救世主」とされており、
「御守護神様」と称される。波瀬善雄が死去した1984年に波瀬敬詞が教主を継ぐ。現教主である波瀬敬詞は、教団では「二代様」と称されている。
教団では波瀬善雄が誕生した1915年(大正4年)を霊波元年とする「霊波暦」という暦を採用している。
教典は「御書」と称されている。 電磁波の光も究極考察では神秘だが
霊波の光は異次元(メタ)の神秘やな 🙇 >>62
波長とは波の周期の長さ
義務教育エスケイプ? 前後のレスから判断するに
波動性と言いたかったのではないかな? 基本的に、義務教育は言うに及ばず
大学のディスクールも
”意味するところ”を問う
ものではない >>70
じゃ、波は何かと尋ねたら、
>精神による物質世界への働きかけ
か?
やっぱり義務教育エスケイプしてるな。 意味するところは人、思想によりそれぞれ。
ただ、コストはかかる。 唯物論も一長一短でしょ
宗教的夢想に寝ぼけていては科学は発展しなかったはずですし
いまこうやって科学の成果を享受できるのも唯物論という仮定のおかげでしょう 科学を作ったのも精神だしね
そもそも原初のエネルギーが転じて物質が誕生した最初の基点を考えれば
精神が物質を作った、とも言える
のではなかろうか >>76
精神は空中に浮かんではいない。
脳が壊れると精神異常になるw 物質が生じるには、まず虚空(時空)が生まれ、さらに粒子が質量を得ないと顕われない
@が原初宇宙のエネルギーから離れて物質界を作ってモノを対象化したことで
現在にいたる宇宙が開展した
つまりE=m×cの2乗 → m = E ÷ cの2乗 より、物質が生じるには、Eからcの2乗を
除算する必要があり、
つまりcの2乗で割ることで物質を生み出した@が物質世界全体を作ったとも言え
もしくは、cの2乗自体が精神のあらわれであり、
識が最初に物質を作ったというのも
基本の基なのである 係数 c^2 の根拠を語れる者は居ないので アインシュタインのロマン文学と思ってる 🙇
計測値に多様な変数を絡めて好都合な数合わせは ある人種の得意とするところ 👴 それどころか完全に真実なんですよ
つまり速度が光速に近付けば質量はゼロに近付き、
速度が極小なら質量は極大に・・・ こういうのにピンと来る人なら、サイエンスも
そのベースにある事も判るのでは? そう言えば 光速に近づけば質量が限りなく
増える理由も語られていなかった様な・・・ 🙇 光子の速さ 光速 ← 質量はゼロ 質量を獲得すると遅くなる
時空の歪み方によって、進み方も変わる 粒子のような振舞いに見えても見せかけだけで
実は時空の構造と一体で、もっと言うと”粒子性”(相補性)のスケールにもヒエラルヒーがあって、
もう1個上位次元では、時空全体が一つの・・・とかね EPRパラドックス
アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス(英: Einstein–Podolsky–Rosen paradox、
頭文字をとってEPRパラドックスとも呼ばれる)は、量子力学の量子もつれ状態が局所性を(ある意味で)破るので、
相対性理論と両立しないのではないかというパラドックスである。アルベルト・アインシュタイン、ボリス・ポドルスキー、
ネイサン・ローゼンらの思考実験にちなむ。
EPRパラドックスが発表された当時は、アインシュタインらは局所実在論の立場を取っていたため、量子論が実在論的に完全でない結果を
与えることを「パラドックス」であるとした。しかし、ベルの不等式の検証(1982年)などにより、
量子論では局所実在論が破綻することが明らかになっており、非局所的な量子もつれ状態はEPR相関と呼ばれている。 メタ総体を語れる≪一義論理≫など存在しないということ 🙇
言ふまでも無く 元々が 無限不可知だし 👴 この宇宙の根本原理は「1=極小×極大」から「1=極大×極小」の間を往来する運動
・熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)と
・特殊相対性理論の有名な E = mc^2
アインシュタインの有名な式も元を正せばライプニッツに行き着きます。
「力」が質量と速度の積 mv に比例するとのデカルトらの考えに対して
ライプニッツは 質量と「速度の2乗」との積 mv^2に比例する と1686年の論文で主張したのです。
またライプニッツは「mv^2の総和が保存されている」とも主張し、運動の量を活力(vis viva)と呼んだのですから、彼は
こうした問題に大変関係が深い人物だと思います。(さらに微積分に関わる彼の無限小概念も いまだに議論の種となっています)
孤立系で E = mc² のEに1を代入してみると 時間が経過しても(熱力学第一法則より)エネルギー総量は不変なのに対して
質量は光速の2乗に反比例する結果になります
ということは
速度(の2乗)が極小値を示す時、質量が極大値を示し、またその逆も真 といえるかも知れません。
また質量とは時空の歪みの因となるものですから、時空の歪みが極大になると光速は極小になるともいえます
(実際、ブラックホールに落ち込むと、光さえも脱出できないと言われますね)
但し、Eを1とした場合の話なら、そのようにも言えるかもしれないのですが、本当の答は「零」なのでしょうね。
印度哲学っぽくなってきましたが、この宇宙は、一瞬だけあらわれた仮のEから展開した束の間の幻かも知れません。
(簡単に言えば、質問にある”1"を 例えば対生成ー対消滅みたいに 1-1=0とするような x-x´=0 のような機構が そもそも根底に
横たわっている気がするのです)
宇宙の全ての重力の位置エネルギーを合計するとマイナスになるため、宇宙に存在する物質の質量とあわせれば、宇宙の全エネルギーはゼロになる
のですから ペラ・メタ新概念区分 🙇
ペラ = メタ総体の無限小領域に生じるペラバブル宇宙と
その唯物論的観察で真理解明を夢見る派 🙅
メタ = ペラ現実の背後母胎総体(メタ多元複合総体)と
非物質世界(メタ異世界)に真理を求める派 🙏
「メタ天文(ブン)学」 🙇
この宇宙は無限大と無限小の間に在る
この宇宙の両極は無限大と無限小である
無限大空間の背後は メタ空間異世界であり 無時間世界である
無限小空間の背後は メタ時間異世界であり 全時間世界である
「メタ時・空異世界」の反応が この宇宙であり
「メタ時・空落差」がこの宇宙の全エネルギーである
ビッグバンはメタ時・空異世界の出会い・反応であり
素粒子はメタ時・空異世界反応の定在波(渦)である
重力は物質に流れ込むメタ空間異世界の作用であり
光は物質から放射するメタ時間異世界の作用である
無限大は無数の無限小で埋め尽くされており
両者は対等で表裏一体的「メタ構造」を成している 🙎 ヌーソロジーも大したことないかもだが、ただ若干の閃きは感じられる。
暇なら以下の動画を視聴してみると何か気付くかも。元小学館の人だが別に関係はない。
ただ苫米地に影響されてるかも。。。
時空の外に出てみよう(はじめてのヌーソロジー)【Short】
https://www.youtube.com/watch?v=8_3nKT75mcc
#054 ヌーソロジーの観察子をあえて一般語で解説してみる
https://www.youtube.com/watch?v=OgXYYljU5AY
#055 二つの死(ヌーソロジー)
https://youtu.be/ZCiT-otGxe0?t=884
ヌーソロジー解説 「ヌースとは?」 半田広宣
https://www.youtube.com/watch?v=sK7JE36z9Mg
#066 思形と感性(ヌーソロジー)
https://www.youtube.com/watch?v=k9gaVJbTQUg ある量の質量はそれなりのエネルギーになる でおK 👴 w 光速も質量とエネルギーの等価性も
円周率と同様に不確定で構わない 🙇 ≪意識のあり得ない世界≫に脳は生まれないから
「意識が脳を造った」と言えるのである 🙇 唯物論でなければならない
という見栄や偏見こそが共同幻想。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています