「また比丘たちよ、行為の滅へと通じる道とは何か。
それは、聖なる八支の道(八聖道)、すなわち正しく見ること(正見)・」
(『原始仏典U 相応部経典4』春秋社、344頁)

「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、
「八聖道」ではないという確信を持った。」
(『般若心経瞑想法』115頁)

信者さんたちに目をそらさずに良く見てほしいのです。
釈尊は四諦の「道」とは八正道だと言い、桐山さんは違うという。
普通の知性のある信者さんたちなら、立ち往生しましたよね。
学者の説や批判側の説なら、ペテン大作さんみたいに
あれこれ屁理屈の因縁を付けて、誤魔化すこともできるだろうが、
釈尊本人が八正道だと明瞭に八つ並べて言っているのに、
桐山さんはこれに逆らって否定しているのだから、説明がつかない。

でも、普通の知性のある信者さんなら、その知性が
今、答えを信者さんにささやいたはずです。
桐山さんの無知、桐山さんの嘘、です。