「色即是空」と般若心経の深義9
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
心経は多様な解釈を許す所があります。
では市販本に示される解釈が全てでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五(色)蘊に換えた
無常と無自性が合一したイメージを喚起する出世間の言葉と捉えましたが、
実際、空の意味として、陽炎の如しの言い換えともとれるⒶ無実体Ⓑ幻想・虚妄 以外にも様々な表現があり
例えば空を唯心と解釈したり、非我、人法二無我、(一即)一切、全、不二一元、虚空、エネルギー、波動、スーパーポジション、
真実には存在しない意、中身が無い、錯覚、般若の浅略釈、本質、仮のものは仮の現象と観察できる事、四諦を直観で見る事、
確率的にしか捉えられない不完全なもの、言語的に説明困難な真理を説く為のメタフォリカルな表現、妄分別・固定観念の破壊
五蘊を悪魔と見て遠ざける事、五蘊盛苦から執着を除き涅槃に到る道諦、形成作用の滅尽、識を越える事、自他無区別、妄分別の滅、解脱の因、
世間のいかなるものへも執取しない態度、正体は見掛け通りでない事、魄、執着の価値を欠く、依他起性、苦の因を滅し安楽(涅槃)に変える智慧、
法如、無戯論、プラクリティ、意識原理、感官から完全に悪魔を締め出した状態、
名付けられる前の世界、心の中心に具わるゼロ点、真実在、理法、清浄、無所有、平等性智、彼岸に渡った菩薩の心身のあり方、一切の顛倒夢想を遠離した境涯
現象の三世に亘る全相貌、六神通の素、アーラヤ識、如実知見、浄真如、万物の実相、非相、般若を世間法即涅槃と悟る為の方便、識の穢れを消すワイパー、
物の欠如した状態、理性と智慧の働き、菩薩乗(菩薩の生き方)、左脳の初期化・右脳のロック解除、法身を得た境地、究極的な物のあり方
誤った認識を断つ力、滅諦の実性 法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、一境性、無色定で感得する微細な意識、主客無分別な現量、
無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、 心解脱、如来の智慧が遍在する処、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙全体、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとしての真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが知っている実相を指します) 般若心経は奥深いですね。日本においては仏教伝来以来、ずっとベストセラーです! 極無自性心とは、
他力を観ずる境地の極致哉
秘密荘厳心 とは、
自ずから本源を知る心 即ち一心なり
正しく修めるなら自ずと覚知する 「中論」第二四章 四諦
「すべてのものが空であるならば、生起とか消滅とかも存在しないではないか。
生起とか消滅とかが無いのだとしたら四つの聖なる真理(四聖諦)だって成立しないことになる。
四つの聖なる真理(四聖諦)さえ無いなら、完全に知るということも、煩悩を断ずるということも、道を修習するということも、涅槃をじかに体得するということもありはしない。
すなわち、知・断・修・証が無いのだから四つの聖なる果報(四聖果)も存在しないのだ。
果報が無いということは果報としての四つの状態(四位)も無いということだし、そういう目標に向かって進むということ(四向)も無いということだ。
だとしたら八賢聖(四向四果の聖者)など存在せず、サンガ(修行者の集まり)さえ存在しない。
四つの聖なる真理(四聖諦)が存在しないということは正しい教えも存在しないということだ。
正しい教えという宝も、修行者の集まりという宝も無いなら、仏陀という宝ももちろん無いだろう。
このようにして、空を説くということは三宝を破壊することに他ならない。」
こうした意見にナーガールジュナは徹底的な反論を加えた。 ナーガールジュナの反論
さあ、これに私たちは答えよう。
あなた方は、空のもたらすものも、空そのものも、空の意味もわかっていないのだ。だからあなた方はこのように論難するのだ。
二諦をもって、すべてのブッダは法を説かれた。世俗諦と勝義諦だ。
この二つの真理を区別できない者は、ブッダの法の深く微妙な所をまだ理解しているとは言えない。
世間の言葉に頼らなければ究極の真理を説くことができない。
究極の真理に到達しないなら、涅槃を体認することはできない。
不完全にとらえられた空は、智慧の浅い者たちをつまずかせることになるだろう。ちょうど、不完全に捕まえられた蛇や、半人前の魔法が人を害する結果になるように。
だからブッダも、その法が智慧の浅い者たちによって誤解されることをおそれて、伝道をためらったほどだ。
また、あなた方は空を論難して、空を説く私たちには次々と過失が生じるとおっしゃるが、空においては過失も成立しない。
空だと言えるものは何かと言えば、すべてのものである。
空ではないものは何かと言えば、そんなものは一つとして無い。
したがって、あなた方は図らずも自分たちが抱える諸々の過失を実は私たちに投げつけているに過ぎない。
あなた方は自分たちの乗っている馬のことを忘れて、あたかも私たちの馬のように非難しているのだ。 もしもあなた方のように、さまざまなものの自性は間違いなく存在するのだと考えたなら、あなた方はさまざまなものが原因なく生起したと認めることになる。
すなわち、あなた方は結果とか原因とか行為者とか方法とか行為とか生起とか消滅とか報いとかをすべて否定することになるのである。
いかなる縁起だろうと、縁起のことをこそ私たちは空と言っているのだ。
それは仮設であり、
それはすなわち中道に他ならない。
何であろうと、縁起によらずして生起したものなどありはしない。
すなわち自性により成立しているような、空ならざるものなどありはしないのだ。 もしもあなた方が言うように、一切のものは空ではない、自性によって成立しているということだったら、それこそ何ものも生起することはありえないし、何ものも消滅することはありえないということになる。
そうするとあなた方にとっては、四聖諦など成り立たなくなってしまうのだ。
苦しみがあるという真理(苦諦)について見るならば、縁起によって生滅することを離れた苦しみがいったいどこにあろうか。ブッダも無常は苦しみであると説かれているではないか。
無常というのは、あなた方のようにあらゆるものは自性を持つと考えたなら成り立たない。
あなた方のように苦しみというものが自性によって成立していると考えたなら、そのようなものがあらためて生起するなどということはありえないだろう。
したがってあなた方のように、あらゆるものは自性なく空なのだということを否定したなら、苦しみは何らかの原因によって生起するのだというブッダが説かれた真理(集諦)までも否定することになる。
自性として存在する苦しみが消滅することは、存在しない。あなた方は自性に固執するから、苦しみの消滅の真理(滅諦)を破壊する。
もしも道が自性として存在するのであるならば、それの修習(実践)は成立しない。しかるに道は修習される。あなた方の説く自性なるものは、存在しないのである。
苦と集と滅とが存在しないときに、苦しみを消滅させるものであるからとて、いかなる道が涅槃を得させるであろうか。
もしも苦しみが自性として完全に熟知されないならば、それではどうしてそれを熟知しうるであろうか。あなた方の教説では、自性は確立しているものであると伝えられているではないか。
完全に熟知することと同様に煩悩を断ずること、涅槃を直接に体得すること、道を修習することも、四つの果報(四果)も、このように理に合わないことになる。
自性に固執する人にとっては、自性としては証得されない四果を、どうして証得することができるであろうか。
四果が存在しないならば、果に安住している人々も、果に向かっている人々(四向)も存在しない。もしもそれらの八種の人々(八輩)が存在しないならば、修行者のつどい(サンガ)も存在しない。 また四つの真理(四諦)が存在しないが故に、正しい教えもまた存在しない。法とつどい(サンガ)が存在しないのに、どうして仏が存在するであろうか。
あなた方には、さとりに縁らないでも仏があるいう欠点が付随して起こる。またあなた方には、仏に縁らないでもさとりがあるいう欠点が付随して起こる。
またあなた方の説によると、自性として仏でない人は、求道者の実践(菩薩行)において、たとえさとりに向かって努めても、さとりを体得することはないであろう。
さらにいかなる人も、法にかなった行い、不法な行いを、なすことはないであろう。空でないものにとって、何のなすべきことがあるだろうか。何となれば、自性というものはつくられないからである。
あなた方の説によると、法にかなった行いや不法な行いがなくても、(自性としての)果報が存在するわけである。あなた方の説によると、法にかなった行いと不法な行いとにもとづいて(縁起として)起こる果報は存在しないわけである。
あるいは、あなた方なとって、法にかなった行いと不法な行いとにもとづいて起こる果報が存在するのであるならば、法にかなった行いと不法な行いとにもとづいて起こった果報は、あなた方にとっては、どうして空ではないというのか。
あなた方は一切の世俗活動を破壊する。あなた方は縁起の空であることを破壊する。 空である道理を破壊する者にとっては、なすべきことは何もないことになるであろう。なす働きは起こされないであろう。そうして行動主体は何もなさないでいることになるであろう。
自性として種々なる状態を欠いている世間は、縁起しないものであるから、不生不滅で、また常住なるものとなるのであろうか。
もしも空でないのであるならば、未だ得ざる者が得ることも、苦しみを絶滅させる行為も、一切の煩悩を断ずることも、存在しない。
この縁起をみるものは、すなわち苦、集、滅および道を見る。 自性とは勝義の謂なり
些末な論議に囚われ
如来の深法を破壊するものは
魔なり 自性が見えてない人が自性を語ると可笑しな話になる。また「我」という語にも二義あり
一つには勝義の我であり、もう一個は
五蘊に巣食う、妄分別たる見解に縛られた世俗の自我である
戯論は妄分別を生む 色即是空、である。
空とは欠いている、ことである。
なにが欠けている、のか。
そこが理解できれば天才である。 >>653
>>647-651は龍樹の中論24をそのまま書いてるからもしそれに疑問を抱いたのなら龍樹に疑問を抱いたということじゃ
しかしながら誰が何に疑問を抱くのかについては当たり前だが自由じゃ
あんさんが龍樹に疑問を抱くのもまた自由じゃ 死は言葉を喪うことではない。沈黙というまったき言葉で話せるようになる、ということだ。 龍樹も文才はあったけれどもブッダではない。仏法は文藝に非ず。
それどころか元は只の煩悩の徒であり、滑稽な逸話も残されている。
もしかしたら、言葉だけ、文章上の哲学的空論を見て錯覚してるだけかも知れず、実際は「袈裟を着した猟師」だったのかも知れぬ。
その視点は重要だ。 それも含まれるにせよ、仏法は哲学だけでもない。
まして詭弁ではない。偽りの仮面で相手を騙し、己を敬わせたり、自己満足に利用したり
有象無象の相手を打ち負かす、論争に勝つための道具でも
ない。 プランク長から「零」に向かって縮んでも
どこまで行っても零には辿り着けない
絶対的な零は存在しない。宇宙に真空なるものは存在しない。
概念としてのみ人は夢想する ゼロとか有るとか何だとか断定できるような実体的性質を持ったものはない
一時的にしか現われない >現代物理学の先生が「私たちは宇宙の5%しか知らない」と真実を教えてくれているのに
19世紀の経済学者の説にカブレた程度の者らが、歴史について、世界について、全てわかった気になっているのは変
【理学部】宇宙創成の謎に挑む−素粒子物理学
https://www.youtube.com/watch?v=9KZT2hjx_Z4 「色」とは、受・想・行・識とリンクする五蘊の色のことなのでしょうね 五蘊皆空
と本当に覚ったんだな。一瞬で煩悩もすっ飛んだとか 世の虚飾、騙し、上辺・見せかけに実無き事を説いてもいる。 対象が主観に従い、主観の先天的な形式によって構成される
という認識論にも通じる 下らん読書家のたてたスレや変な後進国の土人が書いた邪説に
惑わされぬように。老人オタクコテの5ちゃんネラー
やテーラワーダ過激派の見解は、ほぼほぼ
虚妄なり。 真空は空っぽではない
それを言うなら
モノの方こそ空っぽである 「ニュートリノの小さい質量」ー梶田隆章教授ノーベル賞受賞記念講演会
http://youtu.be/RqF4xzfkXlo?t=2180 別個でありながら
宇宙の中でエネルギー体として
統一されてもいる。実は統一体として
動いている 日蓮から派生したカルトは全部
殺されそうになった側
の復讐劇だったのかもね 天台は日蓮(件の終活中のババァも同類項)まで生んでしまった
純然たるチャイナ仏教だから邪宗
であって、即刻カルト認定すべし という判釈は
全くもって正しい 法王には
CIAのためじゃなく
もっとチベットやウイグルのために働け、と
言いたい 痴呆が進行したのか、最近の彼は
世界主義陰謀団に使われるパシリと
言われるような話を
してるよ 911の真実 自作自演の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=hVFvcfNrjXI
420兆円の戦費を目的に、軍産複合体(当時の総帥は共和党のチェイニー副大統領)の諜報機関である
CIAが首謀したとされているのが、2001年の同時多発テロです(死者数2,977人)。
米国の新型コロナでの1日の死者数は9.11を上回っています。毎日9.11超えです(11月末からは3,000人超/日)累計では、
第二次世界大戦の米軍死者、21万人も上回っています(29.5万人)。
トランプによる脱・軍産複合体
トランプは「ワシントン」からの離脱を掲げ、「脱・軍産複合体」を推進しました。最近の、シリア・ソマリアからの米軍撤収も、
その一環です。
ホワイトハウスとCIA等の政府機関が集まったワシントンDC(いわば霞が関)はディープ・ステートの本拠地であり、
民主党支持が80%以上です。一方トランプは、在任中に戦争を行わなかった唯一の大統領であり、反ネオコンです。
一方、バイデンは、軍産複合体の利益を増やす、シリア派兵の再開をいっています。諜報機関のCIAは、ディープ・ステート側です。
軍事国家でもある米国の大統領は、テロ戦争に対してどんな態度をとるかを迫られます。
ペンタゴン(米国防総省)は、トランプ派(多数派)と民主党派(少数派)に分裂している
トランプ大統領を陥れようとしている連中は
まさに911を引き起こした犯人では?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1618505133/ >>682 トランプ政権時代にチベット政策支援法が可決されたにも拘わらず、トランプ批判をしてみたり、
地球温暖化詐欺に加担するような話をしてみたり、
それ以前にもオウムにお墨付きを与え、アサハラをいい気にさせたり
等、ブレーンも良くないのかも知れないが、呆けた三流政治家の与太話と言われても仕様がない
>1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。
援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、
スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てられた。長年にわたって
チベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった
>オウム真理教の麻原彰晃とは亡命先のインドで 1987年2月24日と1988年7月6日に会談した。またダライ・ラマ14世は、
オウム真理教から布施の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都で宗教法人格を取得した際に
は、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援した
>なお、麻原をインドに最初に紹介したのはペマ・ギャルポであるが、数カ月もしないうちに麻原の問題点に気づき、
麻原とはかかわらないようにとダライ・ラマ法王庁に上申している。これに怒った麻原は雑誌や本などでペマを批判した。
後に麻原はオウム事件を起こすに至るが、ペマは大阪国際宗教同志会平成11年度総会記念講演にて
「幸いにして、麻原さんが怒って、私のことを悪く書いて下さったもんですから、助かりました。本当のことを言って……」と回想している 呆け老人でしかない。老害。
本来の仏教は
輪廻からの解脱を説くものであった といってもチベット仏教がダメでテーラワーダが正しいとかいう話にはなりません
けどね。 スマナサラは科学の発展を阻害sるような発言を
平然としている。 公案とは、動物虐待のことですか?
南泉斬猫
なんせん‐ざんみょう
禅宗の公案の一つ。中国の唐時代の禅僧南泉普願に関する話。ある時、東堂西堂の両堂で猫の仏性の有無を争ったところ、
南泉はその猫をとらえ、どのように会得したかを説くことができるなら斬らないが、できなければ斬るといって返答を求めたが、
返答がなかったのでその猫を斬ったという故事。 今なら捕まるよ
虐待どころか殺生でしょソレ。
仏教では殺生戒がある筈なのに、禅宗って
本当に仏教すか? シナにおいて仏教が根本的に変質していたことを示す一つの例ですね 現代の禅師が答える
猫にも仏性ありと解く
猫の態度は、接する者の心を映す鏡なのである
猫にかぎらず、自然一切万事みな、己のすがたを示す神鏡なり
猫も自ら空腹にあって食さず、子に食を与える
また阿吽と鳴こうとして、人に菩提と涅槃の因果の理を教える
見る人が見、聴く耳ある者聞かば、およそ此の世に
仏性無きもの一つも在らず キリスト教もイスラムも
カルトの教義も
所詮は共同幻想ということ
社会の中で一人だけ他人と違う幻想を持って生きてたら
それは妄想であり、場合によってはキチガイ認定される。
ただそうした精神異常や脳の病気に侵された者の妄想を、複数の人が共有したらどうなるか?
現にその手の共同幻想が広まっているのだとしたら?
実際精神病の教祖もいたし。
ニーチェやヒトラーやミシマやスターリン、犬作君や犬川隆法がそうでない
と言えるか?
彼らはキチガイだったかも知れないが、
しかし文章能力が抜群にあって、(もしくは演技力もあり口も十二分に巧い)天才だった訳で
狂人と天才は紙一重と言われる如く、天才側に転んだものの(今のところ)カルト教祖以外は
非業の死を遂げたとされる
共同幻想というのが、どのように形成されたか、それを分析するのは意義深いことである。
多くは、伝言によって細部が削られ、尾ひれが付き、言葉の魔力で美化されてしまう。
共同幻想〜茂木健一郎の感慨深い話
https://www.youtube.com/watch?v=TuMm2ggFENQ
吉本隆明とフロイト:幻想論と心的現象
https://youtu.be/aetFV-kzOI4?t=190 再び米国でも生物兵器説が有力になっています。
FOXニュースのキャスターが「ホワイトハウスのファウチ大統領補佐官が武漢の研究所に機能獲得実験をやらせていて、
それを隠蔽した責任が生じており、犯罪捜査をするべきだ」と発言しています。
さらに
製薬業界の特定の者らが次のビジネスで儲けるために
人工的、或いは発生し易い状態を作り出して
新型のウィルスや細菌を製造して蔓延させ、
また一方でワクチンを予め研究しておいた成果を有効に生かして、
開発したワクチンを世界中で打つことにすれば
途轍もない利益に繋がる
またロックフェラー財団などは、大昔から断種や人口抑制政策に取り組んできたこともあり、
世界の人口過剰問題を人工的な削減策によって解決するべきだと
信じ込んでおり、そのための仕掛けが必要と思っている
のもほぼ確実で、これらより、COVID-19の発生源は、やはり武漢であるが、
そもそもの製造指示の責任は米国の研究者にあったという話が米国の主流メディアからも出ている通り
根本原因は米国の財団、製薬業界や研究者、ワシントンDCにいる民主党支持のディープステートなどにあることが窺えます。
これについて、あなたは、どういう見解を持っていますか?
生物兵器説の可能性高まる
https://youtu.be/SjFgoy_trSE?t=13
トランプ氏「この男は大惨事だ」 ファウチ氏を非難(2020年10月20日)
https://youtu.be/acobmBvycn0?t=1
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10243263330?post=1 脳は周囲の環境に順応し、種を越えて保護者(育てる者・養う者)に同調する柔軟な適応力を具えている。
それが他の個体への同調、共鳴となってあらわれる場合もあれば、
自ら環境を変えたり、自己組織化能力としてあらわれる場合もある。
また
ゴリラが人間化した場合、ゴリラとしては病んだ状態なのかも知れず、だからヒトがダーヴィニズムの言う
偶然の突然変異で進化して現れたにせよ、遺伝子操作で「つくられた新種」だったにせよ、言語によって本性が歪められ
本質的に共同幻想という病に罹患した種としての一面を具えてるということかもしれない
批判とは・・・
https://youtu.be/RC145nn22sQ?t=340 質問があるのですが、初期仏教や大乗仏教や般若心経を調べて
思ったのは、シャカは大日如来とかいるとは言ってないってこといいんですか?
そうすると、生まれた時に天上天下唯我独尊ってのも言ってないのでしょうか、
そして、シャカ族や別れた妻と子供ってその後どうなったんですか? 大乗仏教で大日如来は説かれてます。お望みなら、後で詳述します。
天上天下唯我独尊は、過去仏についての伝承らしいです。
別れた妻も、その後出家して尼僧となったという話もあります。子供のラゴラは阿羅漢になったと。あと二人いてセンダイになったとかいうカルトがありましたが本当ですかね? >>701
以前原始経典のまとめサイトみたいなのでお釈迦様が報身や法身についてチラッと触れてるのは見たけど 具体的な固有名詞は出てなかったから それが大日如来や阿弥陀如来を指すかどうかは解らないね >>702
そうですよね。大日如来の化身が釈迦てのは大乗仏教の創作ですよね。
2つ目もやはり創作ですよね
妻が尼僧になったのはありえそう。子供も僧侶として偉くなったのなら子供を弟子にすればよかったのにと思ったが
子に執着すると悟りが開けないから無理か
ありがとう >>703
原始経典のまとめサイトっぽいのはいくつか見てきた
それはそれで参考になった
やはり難しいですよね
ありがとう いま上座部と称してるのは、実際は分別説部という破門された異端のグループ
です。またタイなどから女の子たちが売春しに大勢来日してました。
裕福で且つ僧が正しく民を教化してればそんなことには決して
ならない筈です
>おそらく、心経が完成した時点でも
分別説部や有部などで阿羅漢を称する者の中で(今のスリラ
ンカと同様、)実はマトモな仏弟子とは全然違うのじゃないかと気付いてしまうような
あやしげな長老とかがいた
部派〜上座部の歴史は虚妄であったと
南伝系の方が認めています。
八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍がありますが、仏教史にはそのような飛躍の傍証となるような伝承が一切ない
ことに関し、何か合理的解説をできる方いますか?
つまり、般若経典が創作という以前に、原始仏典ですら既にその疑いがあると
信者は気付いているのです
>分別説部が説く分別なるものは
アジアの未開人が先進国の自然科学的思考法に目覚め
マネし出した時の独り言を 賽銭ぼったくり用の下らないおみくじに
書き込んだようなもの
スマナサーラ信者は
>スマナサーラ長老を信じています!
と胸張って言えないんだよな。
代わりにテーラワーダ仏教を実践しています。
仏教は宗教ではないなどとほざいて仏教に汚名を着せる。 観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊はすべて〔いかなる本質、実体をも〕欠いていると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。 最近仏教に興味が出て本を読んでます 質問お願いします
「自分が存在すると思うから苦が生じる」と書いてあるのですが、
仏教では、自分という存在も実態がないと考えるのでしょうか?
まぁ、現実には自分は生きているから、こうしてパソコンのキーを打っていて
この書き込みをしているわけですけど、これもすべて幻のようなことで実態がなく、
自分というのは存在しない、と仏教では考えるのでしょうか? 一つ言えるのは、「私」というのは形而上的存在です。
アナートマンの浅薄な見解を基にして、非物質的存在を「存在しないもの」と断定する訳には行きません。
空が教えているのは、いかなる固有の本質、それ自体として不変の我体が無い、という事
だと思います。
結論として、仏教が教えようとしてるのは「我執を捨てなさい」という事は言えます。 >無我について、きちんと説明しようとするなら
本一冊分は必要だと思われますが、適当な書籍が思い当たりません。
しかし、少なくとも単純な断見やテーラワーダ等の見解は奇妙だということは述べておきましょう。
また或るブログで、面白い箇所がありましたので、引用しておきます。
>確かに仏教は常見も断見も否定しているのですが、スリランカの長老の本を読むと
今の人生の中においてさえ、到るところで断絶が発生して、自己の連続性は安易に否定され、それでは
簡単に過去の借金も踏み倒せるという事になるかも知れません。(自己破産者の論理の説明とかでしたら、少しは理解できますが・・・)
しかし常識的に考えても、それは可笑しいのです。
つまり、スリランカの坊さんが
スリランカにいた時と今の自分とでは、細胞も入れ替わっているのだから別の存在だー云々・・・
的な話を書いてるのは詭弁でありましょう。私という固有の生命体に基づく非物質的存在に対して社会的責任も生じて来るのであって、
自分は無いとかいう無我の変な解釈を盾にとって、個人の義務や権利を放棄できると主張するのは正常人の論理ではないと思うのです。 >>709
ありがとうございました。これからも仏教の本を読んでさらに勉強してみます >現在、上座部を名乗っている教団の正体を知っていますか?
部派仏教時代に上座部の中で有害な説を説く異端分子が破門になりました。その異端分子を分別説部といいます。
その後、本来の上座部が滅んだのをいいことに、分別説部は自分たちが正当な上座部だと主張しました。
つまり現在の上座部は元々異端分子なのだから本当の仏陀の教えなど伝わっていないのです。
分別説部についてはウィッキぺディアにも載っていますから、ご確認下さい。
ブッダゴーサというのは経典改竄で上座部から除名された存在で
要するに
今の南伝というのは、そもそも異端であってブッダの教え
そのままでもない。 色々調べてたらこんがらがってきた
初期仏教では釈迦は死んだらどうなるかは語らなかった
とありますが、他の人の話では「釈迦は六道輪廻というのがあると説いていた」という説もありました。
どちらが正しいんでしょうか?
確か浄土真宗の人だったかと思われますが、大乗仏教から地獄が追加されたとありますし、
日本の宗派は全て大乗仏教なので、死後の世界観は共通かと思われます
初期仏教と大乗仏教でだいぶ、死んだ後について違いますが、皆さんはどちらが正しいと思われますか?
般若心経的には、死後は無い。でいいんですよね? 釈尊が語らなかったのは無記と呼ばれるものだよ
当時インドでも論争になっていたもの
それ以外のことは答えている
死後もこの中に含まれる >>713 初期仏教も ほぼ創作ですよ。創作でない可能性の低い経はスッタニパータの4,5,1やダンマパダの一部
釈尊が輪廻を説いたというより、前提としてあったもので、解脱への道を示したものが本来の仏教
私見では、そうした前提まで釈尊が説いたという風に、わかり易く児童文学っぽく仕立てたのが大乗
心経は「死後の世界を説いてる」と見る人もいますよ 五蘊を照見してるのは一体だれか? それ大事です。
五蘊しかない「堕ちた仏教」の世界観では、どう足掻いてもプアー
な解き方しかできない。仏教出現前からのコンテキストを再考する必要がある。
悪い論書もあって、影響されてる 弟子たちよ、生じないもの、成らないもの、創造されないもの、
構成力から発生したのではないもの、が存在する。
もし、この生じないもの、成らないもの、創造されないもの、
発生しないものが存在しなかったとすれば、生じたもの、成ったもの、創造されたもの、
構成力から発生したものを認識することができないであろう >>713
どっちも正しいですよ
本来の死後の在り方は死後涅槃に入り2度と輪廻転生しないように、生きているうちに解脱をせよということです
解脱しなければ輪廻転生をしますが、六道どこでも輪廻はすべて苦の世界なので、人間が輪廻転生を前提に生きるということはまた苦の世界に行くということになります。苦はとにかく深刻なものなのです。そういう意味で認めてないのです。 釈尊はバラモン教より出た一人の行者である。
そしてインドの中に占める立場は、日本仏教の中の日蓮ほど革命的ではない。
日本で言えば、明恵上人あたりかな? と 自分には
観ぜられる >相応部の経において、片方では五蘊は苦であり、もう片方では五蘊を空としている。
また相応部の他の経では五蘊は無常であり、また他の経では五蘊は無我(非我)であり、また別の経では五蘊を悪魔と観じるのが正しい
観察とし、
五蘊を厭い離れることによって、貪りを離れる。
貪りを離れることによって、解脱するのである。
そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、
<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。もはやかような迷いの生活に入ることはあるまい>
と知ることができるのである
五蘊は苦の因を集める器であり
悪魔の棲家と見做されるべきもの。
苦の因を集めるのが我執。それを晴らすのが
空=道諦
釈尊が悪魔を降伏して成道したという伝説は
完全に五蘊を去った
という境地の比喩
心経は
識を超えて欲界も色界も消えている菩薩が説法者の設定ですから
とうに彼岸に渡った解脱者による説法です。 >スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、
ヤハリ、それすらもインチキだったようだな。全く説かれてない とは
言えないからである!
>なんたる外道。 苫米地は只の悪質な商材屋?
ただし外道は外道の裏がわかるらしく斬れる場合もアル
苫米地英人のパーソナルコーチング講座は詐欺か稼げるのか検証してみた!
https://www.youtube.com/watch?v=zE46jZHaVUc
「苫米地英人 詐欺」の理由
https://www.youtube.com/watch?v=E5054cCZehY
【苫米地英人】江原啓之は霊視能力があるのか?
https://www.youtube.com/watch?v=0Vrkl56Wpro >異部宗輪論で言われるところのいわゆる小乗と呼ばれる伝統的部派仏教の部派の話と、スリランカ上座部と称しているものと、
現代上座部と称しているテーラワーダを分けて考える必要があります。
ご存知かとは思いますが、そこは同じではないです。
>スリランカ上座部は「島史」による伝承が根拠なので、あくまで自称の話であって、分からないことだらけです。
また、テーラワーダも途中2度途絶えたものを復興したもので、これらを根本分裂時代に遡り一連のものとして考えるのは、そもそも無理があります。
>部派の系譜に関しては、テーラワーダの主張は違うということ。
>テーラワーダは、根本分裂時の上座部の直系ではないです。
それをブッダゴーサ教と呼ぶ人もいます。
はっきり申し上げますと、ブッダのオリジナルすら正しく解釈できてるか怪しげな方々が
般若心経の深義も浅略釈すらもできず、誤った解釈だけを基にして的外れな批判を繰り返しても
ネタとしか思われないのではないのかなと
思ってしまいますね。 般若心経は注釈会社より更新が大事だけどな。昔のだいぶ間違ったお経だ。 725-726もご多聞に漏れず只の統失コテらしいね。
気にされませんように。 そういや仏教って現代版に更新されたりしないのかな?
「シャカはこういっていたが、現代では科学的にはこう」っていう部分があってもいいはずなんだよな
量子力学的には色即是空は正しい。が、輪廻は無い。とする。とかさ 科学はまだ釈迦の教えに追いついてないんだ
いや追いつくことはない
もし追いつくとしたらその科学者が釈迦と同じ意識レベルになる必要があり、
仮に釈迦と同じ意識レベルに到達すればもはや科学は取り扱わないだろう
自分で修行をやるしかないとわかるからだ
教え方のアップデートはあると思う 以下は半分お遊びで聞いてほしいが
もし量式力学の二重スリット実験を釈迦が観測したら、粒ではなく、波が観察されるのではないかと推測している。
釈迦の意識レベルが上の次元だからだと仮定。
これが正しければ、釈迦と同じ意識レベルになるまで誰が見ても粒となるし、その中で、でも意識レベルを高めれば波になりますよと言っても科学として成り立たない。今のところは宗教としてやるしかない
よって科学を扱うものの意識か高まらなければ、科学は釈迦に追いつかない。 >>730
なるほどね。仏は高次元の存在になってしまったってことか。
そういえばタイの山奥で僧が「高次元の存在になりたい」とかって
自殺したものな
ニュースはググったら出てくる 未だに何年頑張っても前世があるとは思えない
阿頼耶識とか理解できん
それ以外は正しいと思う
仏教は好きなんだが、どうしても阿頼耶識による前世と来世の仕組みがね
業で来世が決まるとか
前世で悪さしたから今悪いとかね
うーん、、、、ここらへんが正しいとは思えない
色即是空は正しいと思うが、なぜにそうなるのか 有身見が落ちれば前世も阿頼耶識も感覚で理解できるのだ
高次元の意識になるために自殺をするのは真逆の方法だとも分かるのだ
これらは頭の理解ではないのだ、腑に落ちるとか会得のようなものなのだ
瞑想や座禅で修行していくのだ そして有身見が落ちれば観自在も自ずと少しずつできるようになってくるのだ 観音経のことどう思います?
観音信仰はひろく中央アジアや西北インドに伝わりました。
般若(智慧)を実践する観自在(観察する人)というイメージから
ヴィパッサナー瞑想を思い浮かべますが
観音経をよむと、絶体絶命のピンチのときに観音力を念ずれば
助けてくれるという内容しかありません
私がはじめて観音経をよんだとき浮かべた感想は
死を前にした人が恐怖をまぎらわせるためのオマジナイだなというものでした
今改めて読むとヴィパッサナー瞑想のことが書かれているのかもと思いますが
正直よくわかりません
みなさんはどう考えますか? 一心に念ずるのはサマタ瞑想なのだ
ヴィパッサナー瞑想は観自在でないとヴィパッサナーにならないのだ
しかし一心に念じ切ったら観自在への道が拓かれるのだ
だからその観音経で言われていることは正しいのだ 五禅支を生成して精神統一しないと智慧の瞑想にならないし、
智慧を発現するための妨げとなっている覆いが、各人各様の方法で取り除かれれば、
普段の生活でも、一日観自在でいられるとは
思いますよ >>731
見るものは同じでも、見る立場が違えば見えるものも違うからね
道に紐が落ちている。立って上から見れば線に見えることもあるし、しゃがんで見れば立体物に見えることもあるように
多世界ではなく多次元なんだ 恥知らずワシントンポストがパンデミック自然発生説から武漢研究所漏洩説へ突如大転身??💢「メディアは政治的偏見で報道していた」
https://youtu.be/bXMhuRziYQE?t=14 既に予想されていたように
コロナも人口減少計画というアジェンダの実行だったという話です
製薬会社にとっても巨利に繋がる訳で
みんなグルなんです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています