>>436

訳出だが こうも書いてあるな?

>如来は、この世に生を受けたすべての生き物の父なのだ。
>もしも、無量億千の生命のあるものすべてが、
>仏教の教えによって、生まれまた死んで往来する世界の苦しみや怖れに満ちた険しい道を逃れ出て、永遠の平安という楽しみを得たのを見たならば、
>如来は、こう思う。私には、はかり知れず果てしない智慧と力と、教えを説くときの何ものをもおそれない態度という諸仏の教えの蔵がある。
>この諸々の生命のあるものすべては、皆これ我が子である。
>等しく大きい乗り物を与え。単独で生死の迷いを超越した悟りの境地を得る人がないようにする。
>皆、如来の生死の迷いを超越した悟りの境地によって、彼らを悟らせるようにする。

↑生死の迷いある世界から逃れ出た如来に寿命があったら解脱とは言えない

この品目の作者は原始経典をそれほど深く理解していなかったのではないか?
釈迦の説いた如来は生死無きものだから輪廻そのものからの解脱が不死の法門なのに再び寿命有る世界に生まれるとすれば それは天界往生の亜流に過ぎない

この悟りには疑義がある