さて、キリスト教の性質上、セックスとは男の側から見れば、「女の子供の気持ちを味わいたい」からするものだ、
とされるが、このデリダの指摘は大変な意味を持っている。
キリスト教徒には、電話で「彼には強さが約束されている、彼を恐れる者に祝福を」(ルカ1:46)を言えばいいし、
これはつまり「子供とはイエスキリスト」と言う最高の称賛と快楽を意味する。
一方で、日蓮宗の人でも、そうでない人でも、「その時、神聖な名前を唱えた。南無妙法蓮華経」と言えば、
もし快楽が伝わるのであれば、その女性はひとたまりもなく日蓮宗・創価学会に帰依するだろう。
なぜなら「息子がモンゴル帝国を撃退した日蓮である」という最高の称賛と快楽をもたらすものだからである。
男性信者も、このようなある種の「リップサービス」ぐらい持った方がいい。