>>427

実際、わたしたちが守り、支えるように召されている「いのち」は、

抽象概念ではなく、生身の人間を通して表わされるものです。

受胎したばかりの胎児、疎外された人、孤独と失望の中あるいは終末期にある病者、

仕事を見つけられない失業者、拒否され隔離された移民など、

「いのち」は具体的な人々の中にあります。

すべての人間は、いのちの充満を享受するよう神から召されています。

いのちの大切さは、教会の母なる配慮にゆだねられているために、

教会はいのちに対するあらゆる脅威を前に手をこまねいていることはできません。

教会にとっていのちを守ることは、イデオロギーではなく、

すべてのキリスト者に関わる、人間としての現実です。

人間の尊厳といのちへの攻撃は、

残念ながら、この普遍的人権の時代においても続いています。

それどころか、むしろ、わたしたちは新しい脅威、新しい隷属制度を前にし、

最も弱く傷つきやすい人間のいのちの法的保護が常にあるわけではなりません。

回勅「いのちの福音」のメッセージは、今日これまでになくわたしたちに訴えるものです。

わたしたちが直面している現在のような危機においてはもとより、

連帯、ケア、受容などの態度を未来の世代に伝えるべく、

文化・教育面で取り組まなければなりません。