宗教の道の入口はすべからく「浄化」で出来ているから、正面から性はあまり語りたがらないですね

個人の理解としては、性には愛と欲の二つの方向があると考えます

欲は地獄を向き、愛は天を向いている

天を向く愛が性と交わると利他的忘我のような体験になり、欲が性と交わると利己的蹂躙のような体験になる

なるみ大師のちん●ちょんぎれ、は利己的蹂躙なアホな男の性(さが)に呆れ果てて、そんなものに汚される女の子の味方なピュアな心持ちから来ているのでせう

性は愛の側面で肯定できるところもあるけど、欲の力がデフォで強すぎるから宗教では性(セックス)を正面から肯定することはあんまりないすな

これは大道は下の人たちにレベルを合わせるため、信仰の権威が欲のセックスを是認することに悪用されるのを防ぐためでせう