「実録 教団紛争史」

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<九・一、二の主役たちは、「教会は革命の拠点である」と主張し、実行し始めたのである。反政府、反体制でないものは教会ではないと絶叫して止まなかった。そして、ついに、飯清教団議長が、それに屈したのである。妥協させられてしまった。

それは連鎖反応となった。勝ったと連呼する学生、教師たちは、(やくざ)まがいの脅迫や、ヘルメットでの乱入などで、うろたえた教師たちを変節させて行った。

歴史的になかった事態、教会としての想定外の出来事に、あわてた教師たちが相次いでころんだことになった。参加した学生・青年たちの殆んどは、理論づけなどして無かった。

極く少数のリーダーが、全共闘中核派や革マル派の理論を振り回し、「そうだ」と連呼したに過ぎなかった。一連の騒動が少し収まった時、彼らは行き場を失った。教会からも去った。

その時から、教会は青年を失うことになってしまった。敗戦後、一貫して右肩上りだった教勢が、全く伸びなくなった理由である。歴史を停滞させることになった。>

(第四章より)