あなたがたがよく知っているとおり、  
 
ナザレ人イエスは、 神が彼をとおして、
 
あなたがたの中で行われた数々の
 
力あるわざと奇跡としるしとにより、   

神からつかわされた者であることを、

あなたがたに示されたかたでした。

このイエスが渡されたのは神の定めた計画と

予知とによるのですが、あなたがたは彼を
 
不法の人々の手で十字架につけて殺しました。

神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、

よみがえらせてくださったのです。

イエスが死に支配されているはずは
 
なかったからです。

ダビデはイエスについてこう言っています、

『わたしは常に目の前にヤハウェを見た。

ヤハウェは、わたしが動かされないため、

わたしの右にいて下さるからです。

それゆえ、わたしの心は楽しみ、

わたしの舌はよろこび歌った。

わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。

あなたは、わたしの魂を黄泉に
 
捨ておくことをせず、あなたの聖者が
 
朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。

あなたは、いのちの道をわたしに示し、

み前にあって、わたしを喜びで
 
満たして下さるであろう』。

(使徒の働きより)