キリスト教の信じる者は救われる、というではないようです。

絶望しない人の性格は、まるで神を信じているかのように
楽天的です。
絶望さえ、可能性の形のなかに入れてしまえるのです。
信じたら天国に行き、救われるという、こうしたらこうなるという
ものでなく。