日本ではキリスト教の布教はその程度に留まるしかない理由がある。

基本的な理由は簡単である。

日本の精神文化あるいは思想文化という文化と歴史がキリスト教と合致しないだけである。

キリスト教が最大宗教になったからと言って、その要因が一番優れた宗教であると誤解してはならない。

ローマ時代に敵対する宗教より優れていただけで、ローマ帝国の国教となったことが最大要因である。

後は、ローマ帝国の領土拡大とともに、今で言うヨーロッパの遅れた精神文化の地域に布教されただけである。

特に、スペイン・ポルトガル等による大航海時代に南アメリカ大陸への侵略による異民族への武力制圧・植民地化によるキリスト教の押し付けにより、従前のその地の文化を根底から破壊して拡大したのである。

武力に劣り、精神文化も破壊されたその地域で、しかし、なにか異質な(その地にとっては正統な)思想が残っているから、南アメリカ大陸のキリスト教は西洋のキリスト教とは違和感がある。

韓国は、500年以上も儒教に基づく文化が形成されたが、この儒教が宗教なのか道徳なのか判然としない。

厳格な身分制度維持に政治的に利用された一面があるので、身分制度解消とともに儒教が後退し、空白部分にキリスト教が入り込んだ。

しかし、当然として、儒教その他の文化と融合したために、韓国独特のキリスト教になっている。欧米とも日本とも異質感をもたらすキリスト教が韓国にある。

フィリピン、その国と国民そのものの成熟度が低かったからキリスト教の布教が為された。

中国は釈迦の仏教が入り込んだ頃から、既に精神・思想文化度はインドより高かったために仏教国になることはなかった。

イスラム圏は15・16世紀までは西洋より文化度が高かったためにキリスト教が入り込む余地などなかったのである。