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レビ16:8その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。
すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。
16:9そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。
16:10しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、
これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。

へブル10:1いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、
そのものの真のかたちをそなえているものではないから、
年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、
みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。
10:2もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、
もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。
10:3しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。
10:4なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。
10:5それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、
「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。
10:6あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。
10:7その時、わたしは言った、
『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、
見よ、御旨を行うためにまいりました』」。
10:8ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と
(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、
10:9次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。
すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。
10:10この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、
わたしたちはきよめられたのである。