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間違っていても、権威に従うべき?

 もし指導者が、自分の思い通りに信徒を動かそうととして、都合のいいような聖書の言葉を利用しても、少し冷静に考えてみると、そのおかしさや矛盾点に気づくこともあると思います。

 ところが、この聖書の言葉を根拠に「たとえ間違っていても指導者に従うべき」なんて無茶苦茶なことが教えられることもあるのです。

 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
 ローマ 13:1〜:2

 詳しくはあとで説明しますが、もちろん、誤った解釈というか、従わせるために都合のいいように聖書の言葉を引用しているだけです。

 私自身が見聞きした範囲では、指導者ではなく、信徒リーダー的な存在の人が使うのを聞いています。カルトではなく、正統的な教会内でです。

 しかも、不思議なことに、全く別々の場所で、この誤った解釈が語られているのです。おそらく誰か先輩信徒から、そのように教えられてきたのでしょう。

誰かが疑問や反発が起きた時、そうやって抑えようとしてしまうのです。そのようにして、人伝に広まっているんだと思います。

 しかし、これでは自分の思考をストップさせて、理屈抜きに指導者の指示に従うことをよしとする典型的なマインド・コントロールになってしまうのです

私たちは、必ず前後の文脈の流れ、さらには聖書全体から一節の意味を読み取っていく必要があるのです。