0585いさな
2019/10/06(日) 10:47:02.09ID:oxcpvuXiイサクの替わりに雄羊だったでしょ。
宗教史的には、人身供犠の終焉です。
しかし、穢れなき幼児の動物を捧げることは、イエスで終焉なのです。
そういった神との関係から、目が覚めるようにがイエスです。
人の弱みにつけこむ、誘惑であり、魔的な取引だからです。
神との仲介者であるイエスへの信仰は、お金を仲介者にすることからの
卒業です。
ユダがイエスの命と交換したお金を神殿に投げ返したというのは、
偽りの神殿に対する、こんなものいらない、という誘惑からの目覚めです。