537 名前:神も仏も名無しさん :2016/08/30(火) 21:55:33.95 ID:INGs5+BB
聖書における苦難について

神に従うことには苦難が伴う。キリストは弟子たちにも十字架を負うことを求めた
また、キリストはメシアが苦難に会うはずがないと考えたペテロを、サタンの側に立つ者として叱責した
(マタイ 16:21−24、4:1-11)

宣教は苦難。弟子の派遣は「狼の中に羊を送り出すようなもの」とし、当局による圧迫や肉親による迫害を覚悟するよう求めた
(マタイ 10:16−23)
また、「義のために迫害」は神が共にある印でもある
(マタイ 5:10-12)。

ペテロとヨハネはサンヘドリンで尋問され
(使徒 4:1−32)、
投獄され、鞭打たれた
(同 5:17−42)
ステパノはユダヤ人の怒りを買って殉教した
(同 6:8-8:3)
ヤコブはヘロデ・アグリッパ一世により死に至らしめられた
(同 12:1−17)

弟子たちは苦難を神に対する服従の結果として受け入れ、「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたこと」を喜んだ
(同 4:19,5:29、41)
苦難に会って、むしろ宣教は進んだ
(同 4:31、5:42、8:4、12:24)

パウロは患難や忍耐が品性を生み出し、聖化においても果たす役割があるとも述べる
(ローマ 5:3−4)
ペテロも「肉体において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断つ」と語り、欲望ではなく神のみこころのために生きるよう勧めている
( I ペテロ 4:1−3)

苦難は人を神に近づける
( II コリント 1:8)
苦しみにおいて人はキリストの慰めを知らされる
( IIコリント 1:4)
苦難は霊性にとって重要な意味を持つ
キリスト者は、「共同の相続人」栄光を得る前に苦難を受け継ぐ
(ローマ 8:17−18)
パウロはキリストがたどった道を、キリスト者の人生の型とする
(II コリント 4:17、ピリピ 2:5−11)

このように、聖書は神に従うことの苦難、宣教における苦難、霊性における苦難、相続人としての苦難、を語る
しかし、一方で神への服従の証し、キリストの慰め、人格の完成など、苦難はキリスト者の喜びとも密接な関係にある

聖書は 「神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と、キリスト者に覚悟を促している
(使徒 14:22)