Sはパウロの神を慕って教会に来た、その神から愛されるべき兄弟姉妹を蔑ろにした。
そしてそのことを事情を知らない周囲に隠し、逆に己を義とし周囲を騙して納得させた。
或る老牧師などは、その教会で不当に扱われた聖徒たちが、Sを裏切ったのだと宣言した。
裏切ったと断定された聖徒の中には、自殺した者もいた。
自意識が異常に高い自称牧師で周囲の者に自分を崇拝させたり、弟子訓練と称して様々な強要をすることで有名だ。
また、他の牧師やクリスチャンを誹謗中傷し陰口を叩く陰険な一面を持ち合わせている。
本人曰く、幼少期に父親に愛されなかったらしい。

実は、その牧師に対してこの約10年で国の内外に於き、異端の疑惑が持たれている。
そして、その牧師の周囲では不審な死に方をするものが多い。
それは神からの祝福なのだろうか?信仰を試されているのであろうか?
Sの実子が自殺した、これでSの信仰が試されたのだろうか?
同S及びその妻は、「自殺しても天国に行ける、、」とその惨禍の後、声高に宣言し、
義とされ永遠の命を神より授かったことの意味を軽んじた。
確かに、自殺したら天国に行けないというのではない。でも、何故そのタイミングなのだろうか?
天国に行けるかどうかということを、会衆が心配することを感じ取り、つい口からそのように言ってしまったのかもしれない。
しかし、その聖書を悪用した行動所作は、魂の救いより教会の体裁を擁護した邪な人間の意図が見え隠れする。
彼を擁護する周囲の関係者も神に対して同罪である。
知らなかったでは済まない。

アブラハムの息子イサクを神に捧げることが出来るか、神はアブラハムの信仰を試した。
ご存知の通り、その後、イサクは何をやっても成功する生涯を送った。
祝福されたのだ。

しかし、Sは化けの皮が落ちたと、善良なキリスト者が言い出した。