手紙で日蓮は、忍性を、「人間を軽賎する者(人を軽く見て卑しめる人)」、
「矯賊の聖人(ネジ曲がった心を持ち人に害を与える聖人)」、
「僣聖増上慢(見かけは聖人でもうぬぼれているだけ)」
「国賊」「那落に堕在せん(地獄に落ちる)」とさんざんに罵っています。

このさんざんに悪く言われた忍性という僧侶は、どんな人でしょう?

意外なことに、忍性は、日本の社会福祉の本をひも解くと、聖徳太子の次くらいにでてくる人物なのです。

聖徳太子は四天王寺(現・大阪市 map→)に 四箇院しかいん (教育の場である「敬田院」、「施薬院」、「療病院」、身寄りのない老人、児童、病人を保護する施設「悲田院」の4院)を設けたとされます。

その事業に感化された忍性は、鎌倉極楽寺に「療病院」「悲田院」「福田院」「癩宿」を作りました。

忍性の師の 叡尊えいそん は非人(非差別民)の救済に専念しそれを忍性に託しましたが、忍性は特定の人だけの救済はむしろ差別を助長すると考えて、非人を含めた広い階層の救済を目指します。

歩けない物乞いやハンセン氏病の患者を自ら背負うといった熱心さで、師の叡尊からも「慈悲ガ過ギタ」とたしなめられるほどだったそうです。その功績は幕府だけでなく朝廷からも認められて、死後、後醍醐天皇からは忍性菩薩の尊号が与えられます

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