誰でも、もともと、と言うのが勝義であり、法。。
だけど、人間の考え、煩悩で見るとわからない。。

すべては人間の考えを超えて、法の通りにある。。
それに気づくというか、了解する、というだけ。。

それに気づくためには、人間の考え、自我のフィルターを外さなければ見えない。。

仏教の悟りはこれだから、何かの体験をしてとか、意識が変化して悟ったというのはおかしい。。
変化しようがしまいがそれ、もともとそれ、と言うのが仏法であり、悟り。。

ただ、自分で気づかないとしょうがないというのはあるかもしれけど、提唱でまず、
そう教えられるわけだ。まず、答えを教えられて、ホンマかいな?と参禅が始まる。。w

本当だった、と納得するまでの修行、ということだろう。。