自己愛、自体愛と言うのか、フロイトの性欲論で言うと、口唇期のもので、自他未分の愛、なわけだよね。。

だから、だから、花を見ても月を見ても、自分と離れていない。。
眼にするもの、耳にするもの、全部自分、と言うような感覚。。

これって、悟りの一側面と一致するかもしれないという気がする。。

それに対して、他から分かれた自己像に執着するというのは、自我が形成されて以降の話。。
これは、まさしく迷いの世界かと言えるかもしれない。。
要は我執なわけだから。。w