精神分析で言うと、自己愛とナルシシズムって違うんだよね。。
健全な自己愛と言うのは、誰にでもあって、問題ではない。。

しかし、ナルシシズムと言うのは、自己像への捉われ、ということで、
自己完結せずに、他者による承認あるいは否定と言う、泥沼を媒介せざるを得ない。。

どうあっても自分は自分だから、他は関係ない、ならいいんだけど、他に認められなければならない、
と言う人は、認めてくれない人を否定したり憎んだり、愛憎の中を生きなければならない。。

だれでも、そういう時節、を経て大人になるのだろうけど、大人になりきれないものも多い、
と言うのが問題なわけだ。。

フロイトの場合は、リビドーが内向すると、ナルシシズムになる、と言うようなことを言う。。
で、ラカンの場合は、想像界の理論、他者との闘争の世界を説明するのに、他者が自己の鏡像になっている、
と言うような説明をするわけだ。。

仏教でも、一人で生きられない人たちを衆生と言うわけだ。。
他人に認められないと、生きられない人たち。。

独りで、OKになるのが、ま、成熟だよな。。
でも、成熟と言うのはなかなか難しいのかもしれない。。