>>272
まず、破邪とは、邪を破ることである。それから顕正とは、世間一般的に露わにすること
つまり世俗世間に受け入れられる形の、暴露であり、それを正しいと決めつけた言葉

和智は何遍も言うた。世俗は間違いぢゃ、と。つまり、それはご都合的な言葉ぢゃ
邪など本来は無いのぢゃ。いかに危けれども、世俗を一方的に肯定する必要は一切ない

座禅で目指すべきは無我の境地。自我を滅して、脳機能の認知や認識も滅っして大悟ぢゃ
自己は確立すべきものではなく、無いと知るもの。無いと気づくもの。自己など、無い

人生は、ただ生きれば良い。しかし、その、ただ生きることは、凡夫には難しい
「花はただ咲く。ただに成れない人間の私。みつお」なのぢゃ。囚われなくただ生きよ

人生には2種類ある。生きる (ライフ) ことと、生存 (サバイブ) すること。ぢゃ
前者は楽しんで在ること。後者は手段を選ばず勝ち残ること。整理と整合を成せるかな?

今のご時世、生き残る事など、実に容易い。ほぼ何の問題もない。飯食って、自慰して
適当に収入を得て、節約すれば、それで OK であり、問題視する必要はないぢゃろう

何かしらの本を読むのは良いが、そこに書かれておる、如何なる知識を望んでおるのか?
結局のところ、それを知っても、それを読んでおる過程自体が、暇潰しの達成になるだけ

勉強などする必要は無い。得るべき知識も何も無かろう。自己満足を欲しておるだけ
満足しておらんのなら、その不満だけを観れば良かろう。それは達成で解消されない
解消でのみ達成される、無意味なものぢゃ。ただ無意味に生きて何が悪いのか、自問自答

自己完結で、お帰りなさい。ぢゃ

(-人-)