我々は放蕩息子のたとえにある通り 前世からしたい放題のことをしていい加減落ちぶれて
今はイナゴ豆を食うほどになってしまったのだから、

これを良い機会に本心に立ち帰るべきである。
地獄へと落ちれば落ちる程に 頭がパーになって如何とも身動きが取れないようになっていくのである。

ちょうど 今の我々のように。