こんばんは

完全なる自由は存在しない、自由とはある制限された世界の中の判断が大きいの小さいのか、あるいは多いのか少ないのか、質と量の分配具合に過ぎない、という前提に立つならば
人間は限られ決定された決定論的世界の中で、それを自覚し、方向というベクトルを変える自由がある、という意志の自由しか語り得ないのかもしれません

>>711
現代から見れば、という過程はその世界での規範に沿って行動し、その世界でその人がどう行動したのか、という必然性を無視することにならないでしょうか
イエスキリストは紀元前と西暦の始点に生きた人です
それを2000年後の道徳や現代精神学の世界で語っても、はたして答えがでるのでしょうか、と思いました

よく現代なら何とか病だった、なんて言葉を聞きますが、獰猛な野蛮人、暴力こそ英雄だったスパルタの人間が聞いたら腰をヌカすと思いますw