唐人が経済による信州農地の支配に着手していたのは、長野県、県知事の協力ありで、
信州自活百姓の締め出しと連動しての企業化大規模化は、公明党が大臣の国土省が掌握していた。
関東農政局は自白している。引用する。
http://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/nishikan/rekishi/01_3.html
流域内の平地部は農業が主産業のひとつであり、千曲川の水を利用した米作が大半を占めています。
長野県の特産として有名なりんごは善光寺平が中心で、
他の特産品に中信平の南部、塩尻市周辺のぶどう、穂高町のわさび等があります。
 千曲川流域農業の変遷は大きく3つの時代に区分することができます。・・・・
 。。昭和40年代に入って、稲作近代化のための農業構造改善や圃場整備政策が打ち出されると、
千曲川や犀川流域の平地帯ではそれが最も大規模に、効率的に行われ、
水田の大型化と乾田化が大きく推進され、
長野平農業水利事業(昭和38〜45)、中信平農業水利事業(昭和40〜52)及び飯山開拓建設事業(昭和58〜平成6)等の
土地改良事業が実施されました。・・・
 しかし、機械による協業化が普及し、・・農村部の生活は都市化され、豊かさがもたらされましたが、
一方で専業農家の急減という問題が深刻になってきています。
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 日本の米は輸出商品です。政府は輸出商品を、唐人の手先に栽培させ、日本の農地を捧げものにしようとした。
 そこで、今回の天災です。

 長野県知事は、高山の唐人迎合の農業の政策を、実に堂々でした。
 回復不能な、被害があるのは、百姓の奴隷化を妨害する天理王命の御業です。