https://www.afpbb.com/articles/-/2249679
 7はいろいろな宗教にとって意味のある数字。キリスト教の聖書には創造主は世界を創るために7日間を要し、
ユダヤ教の花嫁は花婿の周りを7周し、イスラム教の巡礼者はメッカ(Mecca)の神聖なカーバ神殿(Kaaba)の周囲を7周する。
ヒンズー教では、体にはエネルギーの源となる糸車(spinning wheel sources of energy)である7か所のチャクラ(chakra)があるとされ、
「7つの大罪」や「世界の7不思議」は、宗教を越えて人々を引きつける。
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 777の理は世界創造の理に由来するが、聖書の神の世界創造についても、その理が歪められている。
 終末論には悪魔の数字があって666、こういう、救済を説いた聖書の教えも、
人間の原罪をキリストが十字架で贖ったとか、信仰組織の長がすりかえてしまっている。
 救われるには神を敬えという、教会を敬えという最悪もあって、立派な教会や神殿は、
祭祀の場であり、権力の場となって、祭政一致の政治は今も世界にはびかる。
 この現実こそ、信仰を捨てよと仏陀が示し、神殿を清めたイエスキリストの行動を、
まるで理解しない、聖教主義であり、実際に現実の民衆をまどわし、人心は、正しい神仏のお心、
釈迦の慈悲とイエスの愛の純粋さのみを救済に求め、実際に心の汚れを清め、人々で愛し合うを捨てた。
 だから、因果応報の天理と、天罰の天理を、人においての病の理を教え、中山みきは、
現実においての因縁切りの道を、教えると、宣言したのが、おふでさき5号の冒頭である。