おふでさき5号には、五号 七十七才老女 明治七年五月 
いきなり、牛馬というという話題と前生・後生の問題が登場します。

いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい (5-1)
このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ (5-2)

今までは前生・後生、後生・前生についてしらなんだ。つまりそこがダメということ。
 このたび、というのは実の箱時代(立教から扉開く・天理教会開始まで)です。
 天理教が立教され「身に障り」を見せる時代が来た。
  つまりイエス様やお釈迦様は天罰・仏罰の原理原則を教えたが、そこが人間はちゃんと聞けていない。
 天国や地獄も「幽冥」の出来事、「夢物語」で、「説話」であると「哲学である」と、駄目な教えに落した。
理を曲げたのは信仰組織の長たちで、それで、「新宗教・天理教」がはじまった。
 仏の因果応報もキリストの神の審判も具体的な事実としての「天理」なのだよと、教えたのが天理教。
親神中山みきの、教えなのだよと、宣言されています。
 
 五号 七十七才老女 明治七年五月の 刻限は、五号・五月は五の理で仏法を意味します。
 七十七才老女 明治七年 刻限は、777の理で、キリストを示します。

 以上を前提に、おふでさきは、仏教系の人、キリスト教の人、おのおの個別であるを諭します。
 そして、現実に、神が善悪を分けるという宣言をしています。
 この宣言は、明治21年から実効が開始されて、やまい助けの天理教は大繁盛です。

 明治21年の天理教会開始以前にあった「不思議なたすけ」(初代たちの出来事)は、
実の箱時代の、「ひながた」(モデル)であり、中山みきは模倣魔術として「鏡屋敷」をつかう。
その悪しきモデルがおふでさきや、逸話編に収録されています。
 あく因縁のお話ばかりが大教会初代や先人の話題であり、真似しないほうがよい。