天理教の教えの基本は、数理は実数を基本とします。
 元の理においての、「六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」は、考古学上の実数であり、「確かな証拠なくばいかんで」と、筆先に理が責められております。そして証拠は月日親神様がきちんと残しています。

 知恵の仕込みの開始については、縄文の時代、土器文化の開始の時代。これが天理教の基本です。その確かな証拠は考古学が語ります。

 土器の製造そのものは知恵の仕込みより、それより前で、中国では世界最古となる約2万年前の土器片が発見され、日本で最古の土器は、青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で約1万6千年前の破片が発見されています。文化とは技術ではなく生活です。
  縄文時代は貝塚の時代があって、海産物の採集をしていた日本人がいて、土器製造の技術が発見されますが、集落をつくっての定住生活が開始されて、文化というものがうまれます。
 定住生活、ムラの始まり、そこに社会が生まれ「知恵の仕込の開始」があったという順序になります。
 こふき話では、「柿」と「栗」を神様は人間に与えたとあります。
 柿を「かきね」で囲い、栗で「やりくり」したと、教えられています。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 引用します。
 縄文人は、定住的な生活をするようになった縄文時代人は居住する周辺の照葉樹林や落葉樹林を切り開いたことにより、
 そこにクリやクルミなどの二次林(二次植生)の環境を提供することとなった。
 定住化によって、縄文人は、集落の周辺に林床植物と呼ばれる、いわゆる下草にも影響を与えた。
 ワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルなどの縄文人の主要で安定した食料資源となった有用植物が繁茂しやすい二次林的な環境、つまり雑木林という新しい環境を創造したことになる。
 縄文時代の建築材や燃料材はクリが大半であることは遺跡出土の遺物から分かっている。
 元の理話は、確かな証拠のある、知恵の仕込みの実話です。
 強欲な人間は栗の独占を、むらから国へ、垣根は国境となって支配地を拡大します。