【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 230
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
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※前スレ
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 229
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1562848839/ 口語訳聖書 - コリント人への第一の手紙
7:4 妻は自分のからだを自由にすることはできない。
それができるのは夫である。
夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。
それができるのは妻である。
7:5 互に拒んではいけない。
ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、
それからまた一緒になることは、さしつかえない。
そうでないと、自制力のないのに乗じて、
サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 >>849
ダビデやソロモンも選ばれましたが聖書には多くの彼らの過ちも記されています。
倣ってよい部分とそうでない部分とを見きわめよ。 >>852
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
謝りは全くありません。
あなたが間違っているだけです。 >>853
では、水ではなくぶどう酒を飲みなさい(笑) キリストの啓示であるパウロは一度もヤハウェを用いていないのです。 >>847
> 黙っていなさいというのは男社会のパウロの偏見であり聖書の教えではない。
パウロの手紙は、新約「聖書」に数えられているんですよね。
イエスの福音書も、新約聖書に数えられている。
パウロやイエスや旧約「聖書」の士師や預言者の言っている事も、どれも聖書です。
>>796
> 都合の悪い聖書箇所は、解釈合憲なんですよ。
都合の良い様に、旧約を否定したり、旧約を肯定したり。
>>797
> 聖書を読む時の切り口によって
> 右にでも左にでも教えを説けるんですよ。
>>786-789
イエスの教えは、最初から十戒を守ってない教えと、読書感想しますよね。 聖書の教えって、真反対、正反対の記事の読み方によるね。 それで分かったことは、プライドの高い男の前で話すな、ということです。
私たちはクリスチャンになったら、男でもない女でもない、神の子となるので、神に従っているものは、神から教えられるので、口からから出て来ることばは人に益になることばとなっているはずです。
それを知っているのは男でも女でも、神に教えられている謙虚な人です。 <鈴木信一神父 >
女たちは、教会では黙っていなさい。彼女たちには語ることが許されていません。
律法も言っているように、女たちは従う者でありなさい。
何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。
女にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。
(一コリント14・34〜35)
右の2節はパウロが書いたものではなく、
後代の人が書き込んだものだと考えられています。
というのも、この2節を14章の最後に書き足している写本が発見されているからです。
6世紀に書かれた『ベダ写本』がその代表です。
さらに、この2節の内容がパウロの女性観や、
パウロが生きた時代の教会の状況と合致していないことも、
パウロが書いたものではないと考える根拠になっています。
パウロは男性中心主義のユダヤ教社会に育ちましたが、
キリスト教徒になってからは、ユダヤ人もギリシア人もなく、
奴隷も自由人もなく、男も女もない。
皆、キリスト・イエスにおいて一つだ。(ガラテヤ3・28)と断言しました。
ここまで言い切るパウロが「女たちは黙っていなさい」と言うでしょうか。
パウロ時代の教会の女性たちは、大変活躍していました。
パウロの宣教仲間にも多くの女性が含まれていました。
その一人がフェベですが、彼女はケンクレアイの教会の責任者でした。
教会の責任者が女性であるのに、
どうして「女は黙っていなさい」と言えるでしょうか。
女性たちの活躍は続きました。
紀元百十二年ころに書かれた総督プリニウスの書簡では、
キリスト教の実態を把握するために教会の二人の責任者を逮捕し、
拷問にかけたことが述べられていますが、
この二人の責任者は女性であり、しかも奴隷であったと記されています。
当時の教会では、女奴隷でも責任者になりました。
このような教会にあって「女は黙っていなさい」と言うことには無理があります。 やがて教会の体質に変化が生じ、
「女たちは黙っていなさい」が教会の体質となる時代が来ます。
教会のローマ化の時代です。ローマ社会は典型的な男性社会でした。
ローマ社会に受け入れられるために、
教会は女性の自立性とイニシャティブを犠牲にしたのです。
女は、静かに、まったく従順に学ぶべきです。
女が教えたり、男の上に立ったりするのを私はゆるしません。
むしろ、静かにしているべきです。(一テモテ2・12)。
これは二世紀の前半に書かれた手紙です。
パウロの手紙と言われますが、パウロが書いたものではありません。
この手紙が書かれた教会における女性の役割と、
パウロ時代の女性の役割には、雲泥の差があります。
先に引用した『一コリント』の2節は、後に引用した『一テモテ』を参考にして、
後世に書き込まれたものだと考えられています。
「女は黙っていなさい」の書き込みは、
キリスト教がローマ帝国時代を生き抜くために支払った代価が、
「女性の自立性の放棄」であったことを証ししています。
☆ここで鈴木神父が「責任者」という言葉を用いていますのは、
原始教会において、神父や牧師の名称もなく、
適切な言葉としては、
キリスト派は、 大変厳しい宣教のなかにあって、
意味内容で責務を自覚して遂行する姉妹として
「責任者」という表現を用いられたのだと思います。 りんごさん、責任者という言葉は、
女奴隷が拷問にかけられたという実態から
使われています。
女奴隷という身分でありながら、拷問にかけられるのは
教会運営に責任をもって携わり、人形のように黙ってボーッと
していた人たちでないのが、わかるのではありませんか。 勇魚さん、
☆わたしは男です。あなたは女。
わたしに従いなさい。
わたしはイエス・キリストの啓示を
伝えています。
何も問題ありません。 コリント人への手紙
「教会で語るのは、婦人にとっては
恥ずべきことなのです。」 鈴木神父の個人的な見解であれば、
私はそう考えていますと書かれるはずです。
考えられていますとあるのは聖書研究やキリスト教史の
一致した到達を表しています。
もう一度言います、カトリックはローマの体制から出来上がったので、
それを踏襲した神父は男性だけであり、
鈴木神父もそのお一人です。
その男性たちが、発言している事に注目されてみてください。 >☆わたしは男です。あなたは女。
>わたしに従いなさい。
>わたしはイエス・キリストの啓示を
>伝えています。
> 何も問題ありません。
☆わたしは、あなたでなく、神とイエスキリストに従います。 イエス・キリストの啓示である
パウロの手紙と真っ向から対立する
鈴木神父を信用してはいけません。 >>867
イエス・キリストに従うなら
このみことばに、なぜ従わないのですか。
コリント人への手紙
☆神は無秩序の神ではなく、
平和の神です。
聖徒たちのすべての教会で
行われているように、 婦人たちは
教会では黙っていなければならない。
彼らは語ることが許されていない。
だから、律法も命じているように、
服従すべきです。
もし何か学びたいことがあれば、
家で自分の夫に尋ねなさい。
教会で語るのは、婦人にとっては
恥ずべきことなのです。 コリント人への手紙
「教会で語るのは、婦人にとっては
恥ずべきことなのです。」 >>869
ユダヤ人もギリシア人もなく、
奴隷も自由人もなく、男も女もない。
皆、キリスト・イエスにおいて一つだ。(ガラテヤ3・28)と断言しました。 >>870>>871
神の子供としては、男も女もないのです。
しかし、地上にいる間は、
男と女では違いがあります。
女は謙虚さを身につける必要があり、
パウロは、神の秩序を伝えました。
秩序を乱してどうしますか。 テモテへの第一の手紙
☆女は静かにしていて、万事につけ
従順に教を学ぶがよいでしょう。
女が教えたり、男の上に立ったり
することを、わたしは許さない。
むしろ、静かにしているべきです。
なぜなら、アダムがさきに造られ、
それからエバが造られたからです。
またアダムは惑わされなかったが、
女は惑わされて、あやまちを犯しました。 >>873
地上で殺し合ってきた男性がえらそうに。
アホみたいなことを言わないでください。
男性社会や、社会体制が偏っている。
ならば、その社会体制や、男性が、断然有利であり、
そんなものを秩序などといわないのですよ。
ご自分たちの都合の秩序ですよ。
人間とは男のことです。
man、人間ですね。
666の獣を代表していると御自覚あれ。 >>864
あなたは、キリストの体である地上の兄弟たち、カトリック、正教会、プロテスタント各派と繋がっていないのですから何の権限もありませんし、イエスの弟子でもない。 >>869
キリストの啓示なのはキリストに関する福音なのであり、パウロ達や他のクリスチャンの見解ではありません。
初期のクリスチャン達の活動は記されてはいますが、例えばパウロとバルナバの論争などは神の啓示ではありません。
パウロの考えを神の言葉のように崇める愚行は辞めなさい。 >>875
パウロは神について無秩序の神ではなく、
平和の神と述べています。
秩序を乱しているのは人間なのです。
コリント人への手紙
☆神は無秩序の神ではなく、
平和の神です。
聖徒たちのすべての教会で
行われているように、 婦人たちは
教会では黙っていなければならない。
彼らは語ることが許されていない。
だから、律法も命じているように、
服従すべきです。
もし何か学びたいことがあれば、
家で自分の夫に尋ねなさい。
教会で語るのは、婦人にとっては
恥ずべきことなのです。
>>876
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
謝りは全くありません。
あなたが間違っているだけです。 ☆パウロの伝えた福音が神の啓示です。
パウロは生きているうちに主が来られると考えていましたから自分の手紙が聖書になるとは思ってもいませんでした。 間違いは常にまちことリンゴにあります。
この者共はクリスチャンではなく、惑わす偽教師なのです。 >>877>>879
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
謝りは全くありません。
あなたが間違っているだけです。 預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
誤りは全くありません。
あなたが間違っているだけです。 >>881
パウロは人間ですから誤りもあるのです。
私的解釈で民衆を惑わす偽クリスチャンがあなたとまちこです。
ペトロの手紙二/ 01章 20節
何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。 >>884
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
誤りは全くありません。
あなたが間違っているだけです。 >>883
ソロモンもダビデも霊感を受けて記しましたが間違いも犯しています。
啓示は福音部分です。理解しましょう。
ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 12節
わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
神の言葉というのも「イエス・キリスト」の事であり、それが福音なのでパウロ個人の見解や指示は特に神の啓示ではなく、パウロの考えなのです。 >>885
ソロモンもダビデも霊感を受けて記しましたが間違いも犯しています。
啓示は福音部分です。理解しましょう。
ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 12節
わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
神の言葉というのも「イエス・キリスト」の事であり、それが福音なのでパウロ個人の見解や指示は特に神の啓示ではなく、パウロの考えなのです。
あなたの間違いは明らかです。 >>886
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
誤りは全くありません。
パウロの手紙は、「神の言葉」として
当時の教会は認めていました。
あなたが間違っているだけです。
テサロニケ第一の手紙
☆これらのことを考えて、わたしたちが
また絶えず神に感謝しているのは、
あなたがたがわたしたちの説いた
神の言葉を聞いた時に、それを
人間の言葉としてではなく、神の言葉
として――事実そのとおりであるが
――受けいれてくれたことです。 >>888
話の角度をかえるね。
それほど、男がえらいなら、しっかりしなさい(笑
わたしは、良賢のように従順だけれど、
まちこさんと同じで、尽くすタイプトップテンです(^−^)
しかし私は犬ほどアホでもない。
どんな飼い主でも従順であるなんて犬のようなばかなことはしない。
りんごさんが、現実の話をするならそこんとこの説明責任を問います。
つまりね、男だから女だからでなく、とはそういうことでしょう。
違いますか? だけれど、 → です。
追) あかんもんは、男であろうが女であろうが、あかんですやん。
なので、良い意味でも
男であろうが女であろうがという表現になるのです。
男も女もない。 で、今必要な事は、イエスキリストに戻るという事です。
差別の女性史から解放されるべく、同じ立ち位置に戻るのに、
私が言っている事は、必要なのです。
それなくして、男も女もないの初めの一歩は起動しないからです。 >>888
手紙はただの手紙です。
教会の必要から書かれたに過ぎません。
コリントの信徒への手紙二/ 10章 10節
わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。 >>888
>パウロの手紙は、 「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」と聖書に書いてあるので、誤りは全くありません。
パウロは自分が生きているうちに主が来られると思っていましたが来ませんでした。
パウロ個人の考えを多く含むもので誤りもあります。
☆誤りがないのはイエス・キリストに関する福音だけです。
「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。」 神の言葉として語ったものの、主が来られる日まで生き残っていないパウロ。
つまり、パウロの言葉は誤り。
テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 15節
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、 >>873
男でも女でもない、私たちは神の子どもなのです。
これが証拠です。
教会に属していないリンゴさんが何を言おうとも、何も築き上げたものが無いので、あなたの意見は、そこで終わりです。
教会は、愛によって神の子どもによって築き上げられます。
愛によって築き上げられた教会がものを言うのです。 >>889
イエス・キリストを信じるなら
少しずつ良い方向に変えられるでしょう。
素直になりましょう。
>>893>894
預言者であるパウロの手紙は、
「神の言葉」「イエス・キリストの啓示」
と聖書に書いてあるので、
誤りは全くありません。
パウロの手紙は、「神の言葉」として
当時の教会は認めていました。
「ヤハウェが来られる日まで
生き残るわたしたち」のみことばも
何の問題もありません。
キリストを信じる者たちは、
キリストを頭としたひとつの体です。
その体を代表して、パウロが
キリストの代わりに代弁したのです。 なお、パウロは自分が生きているうちに
ヤハウェが来られると思っいたと
あなたは言いますが、それは違います。
パウロは、自分が地上にいる時は、
携挙は来ることはなく、
その後であることを知っていたのです。
パウロは、携挙前に自分が世を去ることは、
知っていたのです。
第二テモテ
☆わたしは、すでに自身を犠牲として
ささげています。
わたしが世を去るべき時はきました。
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、
走るべき行程を走りつくし、
信仰を守りとおしました。
今や、義の冠がわたしを
待っているばかりです。かの日には、
公平な審判者であるヤハウェが、
それを授けて下さるでしょう。
わたしばかりではなく、ヤハウェの
出現を心から待ち望んでいた
すべての人にも授けて下さるでしょう。 ガラテヤ3:28
あかたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も十字架な身分の者もなく、男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。 >>898訂正
奴隷も自由な身分の者もなく、、、デス >>895
わたしは、エクレシアという真の教会に
属しています。
聖書には、女性はじめ、語ってはならないと
ありますが、
あなたは全く守ってないので、
格別厳しい裁きを受ける可能性があります。
わたしは何度も警告しましたが、
あなたは神からの啓示を拒否したのです。 訂正>>900
わたしは、エクレシアという真の教会に
属しています。
聖書には、女性は教会で語ってはならないと
ありますが、
あなたは全く守ってないので、
格別厳しい裁きを受ける可能性があります。
わたしは何度も警告しましたが、
あなたは神からの啓示を拒否したのです。
自分の言動を省みたほうがいいと思います。 コリント人への手紙
☆聖徒たちのすべての教会で
行われているように、 婦人たちは
教会では黙っていなければならない。
彼らは語ることが許されていない。
だから、律法も命じているように、
服従すべきです。
もし何か学びたいことがあれば、
家で自分の夫に尋ねなさい。
教会で語るのは、婦人にとっては
恥ずべきことなのです。 >>900
まず、教会へ行って教会が築き上げてから、言ってください。
それから、プロテスタントの女性たちは、髪が長くなく、しかも、どうしてベールを被らないのでしょうか? >>904
わたしは真の教会、エクレシアがあります。
イエス・キリストによって
神からのみことばで、鍛え上げられてます。
まちこさんのように
間違ってばかりの人には
ついて行きません。ハレルヤ >>896
>イエス・キリストを信じるなら
>少しずつ良い方向に変えられるでしょう。
> 素直になりましょう。
りんごさん、突然なんのお話でしょうか? >>905
私は、口先だけの人にはついていきません。
自ら、教会に所属して、いろいろ経験した力のある人の話を聞きたいです。 >>907
アーメン
(私信)
うちの母(ママ)は会社を立ち上げて現在は、常務取締役会長です。
女性によい仕事場を提供したいという夢からです。
父(パパ)は、
今の男性社会の世の中で、女性がどれほど才能があっても
切り抜けるのは、男同士のドンパチよりも100倍の力が必要だ。
悪しき誘惑にも立ち向かう勇気は、どれほどのものだろう。
なので僕は、ない知恵をしぼってでも、ママを出来る限り応援する。
ママを愛していて、プロポーズしたのだから、と聞きました。
まちこさん、神を信じてそれぞれのタラントでがんばりましょうね。 >>908
いさなさんのお父さんとお母さんのお話は、素敵ですね。
ホロ、と来てしまいました。
お互いに頑張りましょう。(^O^)/ 女性は元来サポーターとして作られたのです
対等ではあるけれど働き方は男性とは違うのが本来の姿です
ですから女性がガンガン出しゃばるのは神様のみこころではありません
女性は下位の存在と見られていますが、保護の対象でもありました
しかし女性も神様から主要な役割を担わされることがあります
私は個人的にそれが貧しい人への恵みと似ていると思っています 愛と勇気だけが友達さ。
<アンパンマン>♫
https://www.youtube.com/watch?v=pjIj12LRrsY
クリスチャンです。
やなせたかしさん
生年月日:1919年2月6日
死没:2013年10月13日 (94歳) >>910
>女性は元来サポーターとして作られたのです
イエスキリストは、最大のサポーターですよ。
洗脳、思い込みをはずしリセットされますように。
男も女もない。 >>897
パウロは生きているうちに再臨があると間違った主張をしていましたが、年月が経つうちにトーンダウンしていったのです。
誤りを犯したのです。 >>914
なーるほど。死角でした。
私の場合は、主人がいるので、サポートしなければいけない、と思っていましたが、みんなイエス様がいるんですよね。
イエス様に頼るべきですですね、それこそクリスチャンですね。 >>914
母マリアもね、最大のサポーター。
イエスは弟子の足を洗いました。
サポーターこそ、神の子です。
そこに男も女もない。
ピッピさんの気持ちはわかりました。
だからこそほんのわずかな無意識の誘惑にもまけないように
励まし合いましょう。 もう一度貼ります。
ガラテヤ3:28
あかたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も十字架な身分の者もなく、男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。 マスターベーションのコツはどこにあるだろうか?
想像する相手が「差別」されていることと、ステレオタイプ(ノーマルセックスを想像すること)
の二つが条件になる。
抜けない女というのは「差別されていない」ものだ。
想像する相手が差別されていることと、ステレオタイプ(ノーマルセックスを想像すること)
の二つが条件になると、エホバの証人の女などは絶好のズリネタであるし、
わざわざ「差別されること」を望んでいるとしか思えない。
「女教師」「人妻」「看護師」なども「差別」されているのだろう。
その対象に「ノーマルセックスを想像できる」(ステレオタイプ)ことがノンケになる条件だ。
「マガジンタイプ」(ヘンタイプレイ)な生き方なんて大人に任せておけばいい。
夢を持つことは「ノンケ」になるのが目的なのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=xCt9Ok___zk 差別に「いいこと」があるとするのならば、とにかく「韓国女」にせよ「抜ける」のである。
少女時代が「差別」をどのように活用したかはよく理解しなければならない。
https://www.youtube.com/watch?v=mpoKx48WmEM 「差別」は「悪」に対して行うものだ。
それならば、セックス(罪)との相性は抜群ではないか。
どの男もどの女も「自分にとって一番大切な人」を差別などしていない。
そのために、パートナーでは抜けないのだ。
「悪」は意味に満ちている。
とにかく人類学の観点からも「彼・彼女の論理」が分からないため、ズリネタに一番いいのだ。
韓国との「政冷経熱」つまり「女心が分からない」(政冷)しかし「女で抜ける」(経熱)など
わが国の伝統であっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=fYP_3QEb5Yk 女にとって「教科書は男」とも言われ、本当に読んでいる男でマスターベーションをした。
自分で「レポート」を書いてみて、評価が悪いと、成績のいい男は格好のネタになった。
「家族にするともはや抜けなくなるが、キャリアや成績をいい方向に導くことができる」
「家庭内にいる人」(ノーゴー)か「差別された人」(ゴー)かの区別は明確に理解しなければ
ならないし、いざ、結婚してみると冷え切った関係になりかねない。 >>861
勇魚さん、こんにちは。
こちらのお話ですね。黙るの黙らないの根拠は。
「女たちは黙っていなさい」について――キリスト教知恵袋 _ 聖パウロ修道会 _ サンパウロ
ttps://sanpaolo.or.jp/?p=1805 「 実用 聖書注解 全1巻 いのちのことば社 」
では、コリント教会で秩序が乱れた事について解説してありました。
黙ってない女性によって、パウロが始めたコリント教会が混乱し
収拾を付ける為にTコリント11章で
秩序を守ります、という信者女性の
目印となる条件をつけたというのです。
その一つに被り物をしましょう、という目印があったわけです。
イエスが、男性の巡回説教師で、神がかりの奇跡者であったように、
古代の地中海世界やオリエントには、巡回の神がかり女性がいました。
この神がかり女性のキリスト教改宗により
教会での異言による混乱の収拾を、パウロは手紙で説いたと言われます。
コリントの信徒への手紙一 14章
19節 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、
教会では異言で一万の言葉を語るより、
理性によって五つの言葉を語る方をとります。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会
コリント人への第一の手紙 14章
19節 しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、
ほかの人たちをも教えるために、
むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 ベダ写本については
ラテン語写本かギリシア語写本か分かりませんが
6世紀のベダ写本より前にあった写本から
5世紀(405年頃)に
ヒエロニムスが改訂したウルガタ訳ラテン語聖書が
ギリシア語から翻訳されてあるはずですよね。
もしウルガタ訳ラテン語聖書に「女性は黙っていなさい」って
クリスチャン女性が「カチンと来る事が書いていた」なら
ベダ説はいったい何?ってなってしまいます。
後世の付け加えでない事になってしまいます。
イスラム教は
キリスト教が
平気で改ざんしたり焚書する宗教だと
言っているそうです。
いまイスラム教徒ムスリムが
カトリック人口を超えている状態です。
イスラムが元気な時代のようです。 感情や共感性より、理性や知性が重んじられた時代は、いつの時かです。 マスターベーションというものは「差別された異性に」「ステレオタイプ(ノーマルセックス)」を
求めることであるが、その効果としては「差別されたものたちに溶け込みたい」という
感情を誘発することがあるとされる。
私も、中学高校では「成績のいい女の子」が対象であり、大学に入ったら「芸能界のアイドル」
が対象となっている。
大学に入って「芸能界には興味がない」というのであれば、行政法などの法律が
分からないだろうし、官僚にも向いていない。
そもそも「処女芸術」と接する機会もなければ、大学での講義(知識)と照らし合わせる機会がない。
テクネー(処女芸術)とエピステーメー(知識)こそがあらゆる資金の出所であることから、
「ラムちゃん」が嫌いな京都アニメーションのメンバーはいないといっていい。
https://www.youtube.com/watch?v=M9ZxNfLCmUw 「新しい知識」というのはマスターベーションをすることで覚えるのだ。
快楽のショックの穴埋めのために日常に戻っていく。
しかし、「鍛え上げられた肉体に多少の薬」という才能や、「一番いい先生を選ぶ気力」
は通常の人間にはないものだろう。
そこで、中年世代になると、バッティング(頭突き)行為などの反則が横行するようになる。
「情報源とそれからもたらされる衝撃の大きさ」を悟ることが己を知るということだ。
自分の発言やプレーがなんら「衝撃」を引き起こさないのならば公然と反則を使うようになる。
そんな時は、そのような反則を使う輩を笑いながら叩きのめせばいいし、
私も、腰を悪くした時に杖をついて街を歩いていたら、女子高生に「老人じゃん?いるよね」
と噂されたが、マスターベーションの「ショック」の穴埋めをするために彼女たちは
私のブログを読み始めるだろう。
とにかく「情報源とそれからもたらされる衝撃」を作家としては保障してやらなければならない。
マスターベーションの「ショック」を英語で「Think」と言い、日常生活の方向性を決める。
自分の家族以外を差別する、ここから人生というものは始まるし、やがて、自分の世界というものは
広がっていく。 シスターが、カトリック女子高で、女子生徒を教えていますが、何か? >>917
私はすべての女性についてを話していません
神の用いられ方によります
ですから家庭内でも女性が男性に比肩したり主張しすぎると、機能しなくなるでしょう ローマ帝国では、ギリシャ人家庭教師が、奴隷身分だったりする。
ローマ市民権を持たない、頭の良い奴隷はいた。
教師が、女性奴隷か、男性奴隷かは、問わない。 >>932
ピッピさん、こんばんは。とても謙虚な女性なのですね。
男性の弱い所を突くような女性ではないと。
今日は病院に行ったのですが、本棚に新島八重の本があって、
そういえば、幕末維新の時のクリスチャン・ヒロインだったなと
思い返したのでした。
男社会の中で、しっかり旦那をサポートした、プロテスタント婦人だったと。
ちなみに病院の院長先生はプロテスタント信者です。
近くにはプロテスタント女子校(中・高・大)があります。
バス停に病院の宣伝看板が有ったりします。 新島八重の愛唱歌
日本基督教団讃美歌委員会
賛美歌294番
1 みめぐみゆたけき 主の手にひかれて この世の旅路を あゆむぞうれしき
たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなきさちなれ
2 さびしき野べにも にぎわう里にも 主ともにいまして われをぞみちびく
たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなきさちなれ
3 けわしき山路も おぐらき谷間も 主の手にすがりて やすけく過ぎまし
たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなきさちなれ
4 世の旅はてなば 死のかわなみをも 恐れず越えゆかん みたすけたのみて
たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなきさちなれ アーメン
ttps://www.youtube.com/watch?v=bhANRNsVTGs
「みめぐみゆたけき」讃美歌294番
Studio Kanon >>934
新島八重は旦那が紳士でレディーファーストじゃなかったですか? 神様が、どういうふうに自分をお使いになるのだろうと
ふつうキリスト者クリスチャンは考えながら生きていきます。
ところが、私は未だ十字架による救いを信じていないと言うか
キリストによる救いに確信が持てないモノですから
祈りや歌という型から
復活信仰とかキリスト信仰を鍛えていくという姿勢です。
その姿勢がキリスト教的でないところです。 >>936
そうですよね、ジェントルマンだったからでしょうね。
アメリカ帰りで、イギリス紳士の気風だったのかなと。
でも奥さんの八重さんだって
キリスト教婦人へと成長したわけですし。 主人への奴隷の取る態度については、聖書はこう言ってます。
口語訳聖書 - ペテロの第一の手紙
2:18 僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。
善良で寛容な主人だけにでなく、
気むずかしい主人にも、そうしなさい。
2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、
神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、
なんの手柄になるのか。
しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、
これこそ神によみせられることである。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会
ペトロの手紙一 2章
18節 召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。
善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。
19節 不当な苦しみを受けることになっても、
神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、
それは御心に適うことなのです。
20節 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。
しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、
これこそ神の御心に適うことです。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会 >>939
いまの私には中々たえられません。信仰心が篤(あつ)くないと。 >>932
>ですから家庭内でも女性が男性に比肩したり主張しすぎると、機能しなくなるでしょう
女性がでなく、人格的に成熟していなければ夫婦でも子育てでも
崩壊します。
男は体格と肉体の筋力で女や子供に勝るので、
当たり前のように、女に我慢を強いていたりするじゃない。
経済的な自立をしていないと、女も抑圧で気が変になり
それが子供にいきます。
悪しき連鎖です。
なので女が、ではありません。
「ならぬものは、ならぬ」by 新島八重 世の中の為に成ろう、神様の為に成ろう、って気持ちとか心って、どう育てていますか?
神の口から出る一つ一つの言葉、聖書の言葉を、たくさん食べてですか?
たくさん祈りに祈りって、ですか?讃美の歌を、歌って歌いまくってですか?
神さまへの求め方が、未だに、つかめてないです。
口語訳聖書 - ヤコブの手紙
5:13 あなたがたの中に、
苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。
喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。
口語訳聖書 - エペソ人への手紙
5:19 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、
主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
5:20 そしてすべてのことにつき、いつも、
わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、
父なる神に感謝し、
5:21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
口語訳聖書 - コロサイ人への手紙
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。
そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、
詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、
いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 >>941
ならぬものはならぬ、と聖書が示しています
あくまでも特例、あくまでもいたわり合い、
キリストがサポーターなのではなく聖霊がサポーターなのです 男性を否定する女性、女性を否定する男性、ですか。
言葉の暴力は良いが、腕力の暴力は悪い、ですか。
男性をののしって悪口を言って、男性の暴力を引き出す。
夫婦仲の悪い家庭内暴力を見て育っている、母親の男性憎悪の悪口に嫌気がさします。
あれは持って生まれた性格もあるんじゃないかと。
そういう構造を見せられてきているので、男女の口論には嫌気をさしています。
経済力を自分や他人にどう生かすかは、個人の素養とか価値観によります。
悪い心で使えば、悪い結果が出る。因果応報じゃないか、仏教が正しい。
そういう場面を、否応(いやおう)なしに、職場や商店街で見せつけられます。
日本って何で、キリスト教が韓国みたいに流行らないのか、時々疑問に思います。
神さまっているのだろうかと、ふと思う。
でも正教会の朝暮の祈祷文を聞きながら、
自分も神様に赦しを乞うているのだなと、朝に暮に、思いを新たにするのです。 韓国のクリスチャン夫婦の実話 1/3
すぐにネタ本が出て来なかったので、思い出す限りで書きます。
朝鮮戦争の前の韓国に、
奥さんがクリスチャンになっていて、
共産主義者の旦那の、夫婦が住んでいました。
この旦那はDVを働く男で、よく奥さんを殴っていました。
奥さんは殴られている最中に「主よ身もとに近づかん」の讃美歌を歌い
気が収まるのを耐えていました。
そうこう暮らしているうちに、戦争が起こり、共産軍が韓国に攻めて来ました。
旦那は共産主義者、共産軍に殺されずに済みました。
ところが形勢(けいせい)が逆転、今度はアメリカ軍がやってきます。
旦那は米兵に囲まれ殺されそうになります。 >>946 つづき
韓国のクリスチャン夫婦の実話 2/3
いのち惜しさに
旦那はクリスチャンなら助かると言う
噂(うわさ)を思い出し
俺はクリスチャンだから殺さないでくれと
米兵に命乞いです。
米兵は言いました、クリスチャンの証拠を見せてみろ。
旦那はこわごわ奥さんが歌っていた讃美歌を歌い始めました。
米兵はクリスチャンと信じ込み、
旦那は命が助かったのです。
とどのつまり
奥さんが旦那の暴力をしのぎ、奥さんの賛美歌によって
夫婦は助かったのです。
旦那は心を入れ替え牧師になって、
奥様は牧師夫人として、生きて行く事が出来ました。
めでたしめでたし。という話です。 >>948 つづき
韓国のクリスチャン夫婦の実話 3/3
歴史に、もしもはありませんが
奥さんがDVに耐え切れず、実家に逃げ出していたら
この夫婦は、朝鮮戦争で、どうなっていたか。
または、暴力には暴力をと
奥さんが男を作って、間男に旦那への仕返しの殴り込みを
かけていたらどうなっていたか。
神様は
この奥さんを活かして旦那の命を救う
御計画だったのかな。
それにしても乱暴な話と思いました。
女性解放運動ウーマリブの前の時代の話です。 >>945
鶏が先か卵が先かですか、
男性社会であることはまちがいないのですよ。
この前にもう言いましたが、女性の選挙権は戦後ですよ。
ですから、男性に大きさと筋力で劣る女性にとって
暴力に対抗するのは口しかないでしょ。(別表現しか)
けれども、口まで封じるのですよ、暴力団は。
口で意見しても、殴り飛ばされたらおしまい。
なので、殴り飛ばされたくないなら、黙っていなさい。
どんな肉的な話をしているのか、考えてみてください。
その肉の蛮性を一度でもよくよく考えてみてください。
主というなら、主人というなら、
その言葉に内実が伴っていなければなりません。
屁理屈で偉そうにする前に、正循環の主人であれ!
ですよね。 >>949
>それにしても乱暴な話と思いました。
> 女性解放運動ウーマリブの前の時代の話です。
あなたが、妄想的で乱暴なのです。
ウーマンリブとかレッテルに逃げないでください。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。