苦しみは他者との共感の絆を回復する貴重な機会

最近、心に大きな傷を負った人の相談をよく聞く
傷を負ってるのだから直すのが先決だけど、傷を直している間にも周りの社会は止まらず動くので、
その差が広がり戻りづらくなり、傷が直っても戻らない、みたいな事態が生まれている
というか戻れないことにさらに別の傷が広がり、それを直すために戻れない、とも言い得る
そういう人には相槌うったり、自分の考えを客観的に述べるだけで、一緒にいることしかできない
その人の苦はいつか強さや優しさに変容することは予感するが、それは今ではなく随分未来の話だろう

知り合いが孤児院でボランティアしてて、今の孤児院にいる子の大半が親の育児放棄らしく、大人に不信しかない子だから、言葉ではなく、とにかくスキンシップが大事だと語っていた
彼らの苦しみは克服されることがない限り、優しさには転換されないのだろうと思う
ただ、苦が大きすぎて克服されないケースは多そうだ、とも思う
克服されることがない苦は一体どこに行くのだろうか

他者との共感の絆を回復しない苦は、そのままで肯定できないものなのだろうか、と思ってしまう