>>203 ハイ、嘘。

872神も仏も名無しさん2019/06/23(日) 23:41:32.16ID:jr8b4k/t

私は正宗の者ですが、どうも正宗らしからぬ人が正宗と言っているのが気になっています。まず南無妙法蓮華経を国教にするなどと絶体に口にしたり、ネット等で広めたりしてはならないからです。そんなことをしたら注意されるはずですので。
それを知らずに大石寺や富士を語り、我が法蓮華こそ国教にすべきだのと活動しているのが顕正会です。
大白法では、今ある顕正会の邪義について述べられていました。ですからここの法華経にある教義は決して信じないでください。
御書にある上人様の御言葉や教えはネットがある今の時代では誰でも引用して書けますからね。
一言で言ってしまえばただの増上慢ってところでしょうね。三類の強敵と言って、聖職という身分を纏い修羅の慢心からくる悪鬼の振る舞いのひとつです。なかなか聞く耳を持たないから強敵なんです。
信心強盛のところから見抜けました。
これを語らせば修羅道に退転しているか、人が摂受すれば、ただ志を強めるだけに留まる智恵としての意味になるからです。
悪鬼に勝てるのは善鬼のみです。悪鬼は法華経を授持すれば、たちまち善鬼となります。ですから悪鬼もまた強い味方になると私は見ています。
時には厳しい言葉、というよりは相手の耳が痛いであろう言葉になるのかもしれませんが、折伏しなくてはなりません。これが無分別の慈悲なのです。
南無妙法蓮華経は上から下へ綺麗な水が流れるように、人から人へと正しく伝える意味もあります。見える見えないの善し悪しがある教えはございません。唱えるだけで自他共に功徳があるのは、時間はかかろうと少しずつ学んでいけば必ず功徳が得られるからです。
また人から耳にするだけでも功徳があり良縁や仏縁なのです。
初めは何も知らずに唱えていた、聞いていた、ただの南無妙法蓮華経が実は妙覚に向かっていたなんて不思議なものですよ。
だから妙なんです。妙はまだまだ自分の知らない未曾有の教えがあるということです。