如来蔵思想は仏教ではない
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大乗仏教では、阿羅漢を小乗の聖者とみなした。また大乗仏教の教理では、誰もが救われることを主眼に置き、出家はもちろん在家でも救われると考えられ、誰もが仏になれる可能性があるとした。
つまり衆生に仏性があるという考え(如来蔵思想)が生まれた。
仏性について、特に積極的に説いたのは、初期大乗仏教の経典『法華経』である。それ以前の経典では成仏できないとされていた部類の衆生にも
二乗成仏・女人成仏・悪人成仏などが説かれた。さらに、その後成立した『大般涅槃経』では、一切の衆生に仏性が等しく存在すること一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)が説かれた。 楞伽経りょうがきょう
大乗仏教経典。
如来蔵思想と唯識思想の合流した後期大乗経典。三界唯心・法身常住などを説く。「入楞伽経」一〇巻など3種の漢訳が現存する。
人間の迷いの根源は,無限の過去からの潜在印象 (習気) によ
って,万物がただ自分の心の現れであること (三界唯心) を知らないでこれに
執着しているからであるという主張を中心に,仏教諸学派の学説を豊富に採用している。この経典は禅宗では特に重んじられた。
舞台をランカー島(スリランカ)にとり、そこの魔王ラーバナを教化するとい
う構想をもっている(これはインドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主題を換骨奪
胎したもの)ところからその題名(ランカーに入る)を得た。五法・三性(さ
んしょう)・八識(はっしき)・二無我(むが)によって唯識(ゆいしき)説を説く
ことを標榜(ひょうぼう)しているが、全体として空性(くうしょう)説に基づき
、唯心(ゆいしん)、如来(にょらい)蔵を説くほか、種々の教説が雑多に述べら
れている。後期成立の経典として、大乗の総合を目ざしたものであろう。その
教理を「仏語心」(仏の教えの心髄)と称し、自覚聖智(じかくしょうち)によ
るその体得を強調している。後代インドで、中観(ちゅうがん)、瑜伽行(ゆが
ぎょう)両派から尊重され、ネパールでは九種大経の一つに数えられて、梵(ぼん)本が伝承された。 如来蔵経にょらいぞうきょう
仏教経典。サンスクリット語でタターガタガルバ・スートラTathgatagarbhastraという。『勝鬘経』、『涅槃経』などと共に、中期大乗仏教を特徴付ける如来蔵思想を説く代表的な経典。
原題は、「タターガタ」(tath?gata)が「如来」、「ガルバ」(garbha)が「蔵」、「スートラ」(s?tra)が「経」であり、総じて「如来を内部に宿すもの(如来蔵)についての経典」という意味になる。
成立は、龍樹よりのちの、3世紀中ごろと推定されている。
すべての衆生(しゅじょう)が煩悩(ぼんのう)にまとわれているにもかかわらず、「如来蔵」すなわち如来たるべき本性(=仏性)を内に宿しているといことを、
〔1〕蓮華(れんげ)の台(うてな)に安坐(あんざ)する如来、
〔2〕蜜蜂(みつばち)に囲まれた蜜、〔3〕外皮に包まれた穀物、
〔4〕汚物中の金、〔5〕地中の宝蔵(ほうぞう)、〔6〕種子から生ずる大樹、
〔7〕ぼろにくるんだ仏像、〔8〕王子を懐胎する貧女、〔9〕泥模(でいも)中の鋳像という9種の譬喩(ひゆ)によって説く小部の大乗経典。
いわゆる如来蔵思想を最初に提唱した経典として重要。3世紀ごろの成立で、漢訳2種とチベット訳が現存する。 BC383年ごろ 第一回結集 経と律で 九分教 十二分教に整理される。
BC260年ごろ 説一切有部などの部派仏教の成立。
阿含経(法句経・スッタニパータ・ジャータカなど)
BC160年ごろ ミリンダ王の問い「那先比丘経」
BC100年ごろ ストゥーパ(塔)崇拝、アジャンタ石窟はじまる。
AD001年ごろ 大乗仏教(初期大乗)はじまる。
AD130年ごろ 般若経・維摩経・法華経・華厳経・浄土三部経・座禅三昧経
AD150年ごろ ナーガールジュナ(竜樹)の中論頌
AD170年ごろ 第一中期大乗の勝曼経・大般涅槃経・解深密経・弥勒三部経
AD200年ごろ 仏像彫刻はじまる。 . ∧∧ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚Д゚) ( ・∀・ ) < おこった
⊂ つ ⊂ つ \____
〜| | | | |
∪∪ (_)(_)
∧∧ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄
( ) ( ) < ぞーっと!
⊂ \ ⊂ \ \___
) )〜 ( )O
∪∪ ((__( 仏滅後七百年後の魔波旬とは?
波旬とはパーリ経蔵の相応部に出てくる天魔です。
仏教修行者を邪魔する存在として描かれてます。
仏法が滅ぶという末法思想は上座部にも大乗仏教にもあり、数百年から数千年で滅ぶといわれています。
これはパーリ経蔵においても、仏教は果てしなく長い輪廻の内の一瞬しか現れないとする内容の記述と一致します。
お釈迦様が尼僧がサンガに加わって、仏教の滅亡が早まったと嘆いたという記述があるようです。 700年後という数字が出てくるとは思えないので
一つの推論としては
大乗涅槃経を編集した教義学者が
如来蔵思想とともに、「世間を空であると観ぜよ」等の教えを哲学的に展開し過ぎた
約七百年後の人物、例えば古龍樹への反感をこうした言説にして紛れ込ませたという見方も
できる気もしますが、あまりそういう話は見ないですよね。
また新龍樹(竜猛)の「菩提心論」には、頻りに大乗涅槃経の引用が出てくるのも話をややこしくしていると感じます。 「善悪」とは、すなわち、輪廻の境涯を指している。善い行為をすればよい境涯に生まれ、悪しきことを行うと悪しき境涯に生ずるというあり方である。これは、『中論』では「世俗諦」と言われる。
一方、「空」とは、この場合、輪廻を脱した者のあり方を指している。こちらは、「勝義諦」と言われている。
龍樹と輪廻転生
http://manikana.la.coocan.jp/essay/reincarnation3.html プッタタート比丘は、アートマンを仏教のニルバーナと同じだと述べている、と
書いていた方がいましたが、ラマナ・マハルシの言う真我は確かに真如であって、涅槃
だと感じます。真如ということばは大乗仏教において頻出するようになった
のですから、やはり密教にヒンドゥーが流入した時に、真我が翻訳編入された概念
のようにも思える訳です。涅槃だとしたら、輪廻は脱してますよね。
それから無我相の修習って、禅的にいうと、真の自己(宇宙=法界体性智)を覚る
ために個我を滅する手段なのではないでしょうか。まあ
如実知自心とか、顕教的に段階はあるようですけど・・・
ラマナ・マハルシの言う真我は梵我一如ではなく、非二元と言うように自他の分離を解消
した状態、つまり心境一如と同じことです。心境一如の世界には宇宙はありません。
あるのは今ここで実際に体験している世界だけです。宇宙は知識としてあるだけで実際には体験されていない故に存在していません。
真の自己を悟るために個我を滅するには、仏教では三昧に入ること sia********さん
2019/6/2922:52:05
釈迦の言う識を越える時の識は五蘊の識で大乗の阿頼耶識と同じものです。
なので識を越える時って言った時点で大乗の世界観越えており
大乗は五蘊の世界観しかありません。
その識(五蘊)を越えたところに梵と我があって
梵我一如っていってるので世界観が全く違います。
諸法を生む阿頼耶識とは五蘊の中の諸法を生むだけで
梵と我は生み出せません。
もっというと梵が阿頼耶識を生み出します。
大乗の言う無我は五蘊の中に梵も我もないので無我です。
小乗はこの我を悟ると阿羅漢と呼びます。
この文脈だと梵と我の合一したもの(梵我一如)をブッダは真我と呼んでいます。
ヤージュニャヴァルキヤのこの世界はすべてアートマンにほかならないは
真我よりももう一段階レベルの高いことを言ってます。
小乗の我もブッダの真我もヤージュニャヴァルキヤのアートマンも
全部アートマンと表現されることが多いのでごちゃ混ぜにすると
訳がわからなくなります。
サーンキヤの図が便利なので貼っておきます。
プルシャが我でプラクリティーが梵にあたります。
大・覚が大乗の阿頼耶識になりプラクリティーより下は五蘊です。
真我はこの図の上になるので出てきません。
この図は小乗の世界観です。
サーンキヤ哲学で検索 紀元前600〜500年前に成立していたと考えられる
「ブリハット・アーラーヌカヤ・ウパニシャッド」の第4章に
ウパニシャッドの哲人ヤージニャヴァルキヤとヴィデーハ国王ジャナカの問答がある。
ヴィデーハ国王ジャナカはヤージニャヴァルキヤに聞く、
「アートマンとはどのようなものですか?」
ヤージニャヴァルキヤは答える、
「認識から成り、諸機能のうちに、また心臓に存在する
内部の光であるこの神人(プルシャ)であります。
彼は(この世界にも、かなたのブラフマンの世界にも)共通ですから、両世界を往来します。
(かなたの世界においては)沈思するかのようであり、
(この世界においては)動きまわるかのようであります。
彼は夢となって、この世界・・・・・、死のさまざまな形をこえ出て行くのです。
実に、この神人は・・・・・。まさしくこの神人は・・・・・。」
これを読む限り、アートマンは精神(心)の中にあり夢などになって
この世界とブラフマン(梵、宇宙原理)の世界を往来する神人と考えられている。 パーリ仏典を読む限り、ブッダがバラモン教を強く意識し、これを批判対象にしていることはわかります。
しかし、ブッダの論点はサンヒターを中心とした祭祀主義への批判に集中しており(長部 三明経等)、
ウパニシャッドに現れるような哲学については言及しているところが確認できません。
三明経ではバラモン教の聖仙の名前が10人以上あげられ批判対象になっていますし、
他の経では同時代の沙門宗教についても
ジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)のように名前が上げられ、
その思想が考察対象になっていますが、ウパニシャッドのウッダーラカ・アールニや
ヤージュニャヴァルキヤについてはそのような言及が仏典中に見られません。
仏教がバラモン教の重要概念であるアートマンに対してアナートマン(無我)を立てたことは理解しています。
しかし中村元氏によればアートマンはウパニシャッド以前のブラーフマナにおいて既に
現れている概念なので、仏教がアートマンを問題にしていることをもって、
ウパニシャッドが仏教に先行している根拠とはされていないと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13195200203?__ysp=5LiJ5piO57WM 古代からバラモンの哲学は大きな流れが二つあって、ブラーフマナが
「祭式は力なり」とするのに対し、ウパニシャッドは「知は力なり」
としており、釈迦はウパニシャッドの修行に応じた沙門なので、魂の
輪廻転生を否定しており、バラモンの梵我一如を固守する哲学とは異
なり、ブラーフマナとも違うので、彼らの支持者が衰退しただけです
具体例は、アショーカ王が治世の基本に大乗仏教を据えた史実
ウパニシャッドの文字化は現代でも
完全に終わったと言い切れないから
深淵幽玄過ぎるのは常識です 南伝仏教では、パーリ語でBhavangaという概念があり、これが発展して、いわゆる”大乗”の如来蔵思想になりました。
Bhavangaは「(人が)変化する領域、住処、世界」という意味で、Pabhassara Citta「輝く心」とも言われています。
南伝では、人は輝く心を持ってはいるけれども、それは生活を戒め修養しなければならないと説きます。
北伝の如来蔵思想では「誰でも」仏性を持っていると表現されることがあり、表現の強調される部分が違い、そこが南伝と北伝の”大きな差”であると見做す人が多いですが、根っこのところは一緒ですよ。
”大乗”の基盤を作った龍樹や世親も、今の北伝では顧みられていない古い経典(主に南伝で読まれている)に精通しており、修行時代は伝統的な仏教のスタイルで学んでいたのです。
”大乗”の歴史的発展の最終形に至る途中で、「空」の強調を改め、更には”小乗”回帰が起こり、インドでの最終形である密教では、”小乗””大乗””金剛乗”の三乗の習熟が義務づけられました。
今でも戒律を守る”大乗”僧侶は部派仏教時代から続く”小乗”の戒律を守っているんですよ。
日本仏教では、セクショナリズムに染まった中国仏教をベースにしており、ドグマの展開から抜け出せていませんので、日本の仏教書を読む場合には、全てを鵜呑みにはしない方が良いです。 時代で整理すると「如来蔵→仏性→本覚思想」になります。
違いをザックリ説明するならば
如来蔵は仏子思想とセットになっており、
「自分達は仏D.N.A.を持っているんだから、
そこを信じて修行しよう!逃げちゃダメだ!」という発想。
仏性は「誰でも仏になるチャンスが平等にあるんだ。
そこを信じて修行しよう!
仏は特権階級の占有ではない!」という発想。
本覚は「誰もが覚りを目指して努力できるんだよ。
そこを信じてコツコツ修行しよう!」という発想。
ハッキリ言って、如来蔵と仏性はほとんど同じです。
むしろ経論の書き手でも違いを
意識していたりしてなかったりします。
しかも別バージョンが色々あります。
仏性→「仏になる可能性バージョン」と
「仏としての性質バージョン」のように。
詳しいことはしかるべき所で研究しましょう。
本覚思想も本来はほとんど同じ言葉なのですが、
時に悪用されたりもしてたので注意が必要です。
どの言葉も内容で区別するよりは
学派や宗派、時代や地域で場合分けする方がスマートかもしれません。
私は如来蔵をもっと強化発展させたものが仏性。
それを視点を変えて言い換えたものが本覚くらいに捉えています。
鎌倉仏教側の資料でばかり勉強してますから
本覚にはイマイチ好印象を持てません ブッダの説法は対機説法といわれるように、各々の弟子が
理解できる範囲内でしか説かなかったと考えられます。また経典結集時までの伝承内容や記憶が完全に保存されていたものか、
(そもそも伝承者が正しくさとって理解できていたか)も定かでなく、認識能力の限界という問題につき当たります。
いずれにせよ、現在仏説として伝えられている内容は、あくまでも、ブッダのさとりの一部であろうと推測されます。
そこで欠落部分(と感じられた隙間)を埋めるべく、
彼のさとりの内容を推し量った後代の人々により、十二縁起・唯識・中観・法華一乗・華厳・密教等々が
説かれてきたのだと思いますが、一点ある問題に集約し得る点として
密教・大乗経典とは、単にヒンドゥーの思想、信仰が仏教風に訛っただけのものなのか、
少なくともブッダのさとりの核心部、精髄の一端は示唆するものであるのかという事があります。
実は南伝仏教でさえ不純要素混入度が7割、北伝にいたっては9割以上と解釈する人が結構いるので、
二千五百年間の時間と伝承者たちの理解の欠落・偏向度から生じた変容の実態を如実に見極めるのは容易では無いでしょう。
この場合、語らなかったことに、少なくとも二種あり。
一つは、語るべき相手がいなかったので語らなかったが、末法の世まで来た今では確かめ得る真理
二つ目は、そもそも意図に反し、語るべきでない事柄が後代語られてしまった思想等です。
もちろんこんな面白い考えがあったけど、説く相手がいなかったから説かなかったんだよ、とかもok
但し往時の翻訳僧たちの解釈が根本的に非仏教的世界観にずぶずぶに嵌まり込み、汚染され切っていて、ブッダの意図を汲み取る資質に欠けていたかもしれないのと
同じく、日本のカルトとかは北伝の悪い不純迷信交配種に属する雑種が殆どと考えられ、そうした営業上の都合による狂信の押し付けには要注意でしょうね。 仏教は宗教ではない」と言うし
如来は現実界の代表名詞だし、従って蔵は全体像であり、思想ではない。
よく分からない人が言葉を数珠つなぎにしただけである。 犬には仏性がない。人間にも仏性がない。
なんでか。
無字の公案である。 「比丘たちよ、この輪廻は無始のものです。
無明に覆われ、渇愛に縛られ、流転し、輪廻している有情(生物)の始原は知ることは出来ません。
比丘たちよ、このように長い間、あなたたちは、苦を受け、苦痛を受け、災厄を受け、墓場が増大しています。
比丘たちよ、そうである限り、一切の行について、厭うことが適切です。解脱することが適切です。」
(パーリ仏典 相応部・無始相応) お釈迦さまの時代、主流の宗教はバラモン教でした。しかしバラモン教は、仏教やジャイナ教のような、まとまった宗教組織ではなかったのです。
https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou245/ >>38
かなり適当な内容。
釈尊在世の頃には、既にバラモンは主流ではなく、
というか「宗教組織」ではなくて社会の身分なので、
日本史で例えると
「サムライという武装集団」というようなもの。
サムライと呼ばれた人々は居たが、特定の組織や団体を指す言葉ではないのは知ってるよな?(笑)
このバラモンという身分が特権階級として祭司による政治を行っていた時代からクシャトリアに権力が移ったのが釈尊の頃。
日本史だと平安貴族から武士の時代に移ったやような話。
そして平安貴族がやってた歌などの雅事を真似て、武家の世で新しいワビサビ等の文化が広まるが、
インドでは、バラモンの後にヒンドゥや仏教やジャイナ教が出てきた。
「よくわからない複雑な組織」とあるが、例えば武士階級を「よくわからない複雑な組織」とは言わないわな。(笑)
身分なんだから、いろんな職種が居て当たり前。(笑)
他にもあるし、この人は、多分知っててワザとミスリードしてるんだろうね。
だから、「大乗仏教は火を拝む」なんて嘘を平気で書けるんだろう。(笑)
つまり、この人は、仏教に帰依した人ではない、となる。
嘘ついちゃダメだよ、ってのはまぁ、宗教云々以前の話ではあるが、仏教の戒律にもある話だからね。
こんな事は、すこし調べれば判る事だから、日本人でこの人に帰依した人らも、やはり仏教ではなく、目新しいもの好きなだけだと言えるだろうね。
まぁ、カルトが仏教詐称して、既存の仏教を否定する図式なんて、もう何十年も繰り返されたもんだし、
「オイシイ話」に騙されるのは欲の皮張った連中というのも昔から繰り返されてきたもんだから、
これも俗世の因縁の一つですかな。(笑)
(^。^)だいたい、テラ曲て語感からしてねぇ。(笑) プラクリティはプルシャに非ず、は五蘊非我でしょうか? 諸法非我でしょうか?
両方でしょうか? プラクリティには人・法の区別は無いということですね?
プラクリティは諸法と五蘊の物質原理側の概念で
それらがプルシャとは別(非我)と覚ることで解脱するということですか?
ブッダも紀元前7世紀前後の古ウパニシャッドの修行に基づいて解脱した沙門という認識でよいのですね?
ある論者の方が「仏教は、バラモン教の非合理的部分に対するアンチテーゼ」という風に要約されましたように
祭祀主義に対する批判であったのが、その批判対象であった部分も密教や大乗の中に混入しているということですね?
当質問は古代インド思想に造詣の深い方にお尋ねしています。
また
プルシャとプラクリティーが実在原理でありプラクリティーの仮の現われである五蘊は幻想
の実在原理というのは大乗仏教風に表現すると真如という感じでしょうか? 真我=真如ならまさにそうとるべきと思いますが、空観も超えた勝義諦、ニルヴァーナの世界と解釈すべきでしょうか?
(仏教と概念は異なるのは承知の上ですが、真我をニルヴァーナと同じと言う方もいて、無実体とすべきでもないとすると、そう解釈できるのかな、と) 違いは梵・真我・真如を実体視するかしないかだけで、
バラモン教と大乗は異床同夢と解釈した場合の話、
たとえば護摩供養は祭祀主義の復活ですか?
同床異夢だ。大日如来さえ空とするのだから根本的に違うものという主張があるのは承知の上です。
そうであるならば、その違いを明確に示してください。
護摩供養は迷信とする意見も多い一方、日本の寺では客寄せ目的か、盛んに行われ、新宗教まであやかっているのを見ますが、
ヒンドゥーのそれと酷似しており、元来は同一のものと考えられ、その起源と差異についての質問になります
ヒンドゥーの神々、如来、菩薩に護摩を焚いて喜んでもらい
見返りを求める行為かな。
ヒンドゥーの神々に死後高い世界に導いてもらう。
菩薩、如来達に日常の生活を援助してもらう。
神社にお参りするのとあまり変わらない気がします。
この世界があるように霊的世界がある立場ですね。 ブッダが語らなかった事をブッダの秘儀・奥義として捏造して説いた大乗経典として、どのようなスートラ・タントラ・アビダルマがあると思いますか?
ある回答者の方から指摘いただいたことに関し、問題点をはっきりさせたいと思いました。
ブッダが説いたことの全てが正確に伝わっている保証は無く、抜け落ちているのではないかと感じたり、よりわかり易く仏説を発展させた
後世の教義学者らが彼のさとりの内容を推し量り、諸派が生まれた面があったのではないかなとも思った次第ですが、
(少なくとも同水準まで達していなければ経を編纂することも不完全な作業にしかならなかったと言えましょうし、弟子たちや学僧らが同水準
に達していたか、また当時の受容者に理解し易いよう当時の主流思想の色眼鏡で解釈しなかったかといった問題もあるでしょう)
その過程で不純物が集積して行った経緯もあったかもしれません。
また、sanさんの指摘にあった
長部・大パリニッバーナ経で
【サンガの内外を分け隔てることなく、教えの全てを説いてきたのだから、特にサンガに限って今さら言うことはないと言っているわけです。
つまり在家と出家を分けて対機説法しているという説を否定すると同時に、「師の握拳」、すなわち
「師が握り拳の中に隠している秘儀・奥義の類」も自分には存在しないと明言している】
という点は同意します。
しかし説一切有部から中観・唯識・華厳(密教については最近少し擁護の気持ちが薄れつつあります)の全てが
加上・増広に過ぎぬ偽の教説と断じるのには些か躊躇が生じぬ訳でもなく、そこで具体的にどの経典・論書に不純要素混入等の問題があるか-
仏陀自身が教義を書き残さず、経典に残すことを禁じていたのだから、すべての経典は仏陀の意思にそぐわないものという意味で偽典であろうかと思います。
どれが本物偽物というより、みんなダメ。
大切なのは文言や字面ではなく、仏陀との対話を通じて弟子の一人一人が気づかされたことであって、言葉自体は正確であったとしても、他の弟子のもらった言葉は別の弟子の悟りの助けにはならない。 サーンキヤ学派における解脱は仏教的に表現し得るか?
説一切有部の考えから見ると
五位七十五法は実在視されるので
五位七十五法の有為法は無為法に非ずが五蘊非我
サーンキヤ学派における解脱とはプラクリティとプルシャが別の存在と認める事とされますが、
強いて有部的にその解脱にいたる認識を表現すると、
無為法の虚空は択滅とも言えぬ
という感じででしょうか?
ブッダも紀元前7世紀前後の古ウパニシャッドの修行に基づいて解脱した沙門という認識について
どう思いますか?
また「仏教は、バラモン教の非合理的部分に対するアンチテーゼ」という意見についてですが、
祭祀主義に対する批判であったのが、その批判対象であった部分も密教や大乗の中に混入しているということですか?
プラクリティーの仮の現われである五蘊は幻想というのはその通りとして、
ブッダは梵我について否定も肯定もしておらず、語るべきでなく、沈黙としてあらわされる
と要約する論者もいます。 この世の中は自分の思い通りにはなりません
解決しようとすればするほど悩みは増えるものです
仏教は無所有の教えなので忘れられるものは忘れて
捨てられるものは捨てて許せるものは許して
捨てられないものはかついで生きていけばいいんです
https://www.youtube.com/watch?v=el0wMC5YjoM 正しい事を
邪な者ら(カルト信者や搾取する連中、甘い蜜を吸おうと企む下等者)に教えても
邪な者らは、
それさえも収奪に利用し、何が真実かわからなくさせてしまうから
教化は注意して行うべきである サーンキヤ学派における解脱は仏教的に表現し得るか?
説一切有部の考えから見ると
五位七十五法は実在視されるので
五位七十五法の有為法は無為法に非ずが五蘊非我
サーンキヤ学派における解脱とはプラクリティとプルシャが別
の存在と認める事とされますが、
強いて有部的にその解脱にいたる認識を表現すると、
無為法の虚空は択滅とも言えぬ
という感じででしょうか?
ブッダも紀元前7世紀前後の古ウパニシャッドの修行に
基づいて解脱した沙門という認識について
どう思いますか?
また「仏教は、バラモン教の非合理的部分に対するアンチテーゼ」という意見についてですが、
祭祀主義に対する批判であったのが、その批判対象であった部分も]密教や大乗の中に混入しているということですか?
プラクリティーの仮の現われである五蘊は幻想というのはその通りとして、
ブッダは梵我について否定も肯定もしておらず、語るべきでなく、
沈黙としてあらわされる
と要約する論者もいます。
補足
プラクリティを世俗諦と見る解釈も有り得ますか?
また色界を色界たらしめている理に対して、精神的世界がある、という風に表現するのも自然に感じますが、
寧ろ「三界は虚妄」といった世界観のほうが後から出てきた感もあり、ブッダは世間を空と説いたにしても
三界の区別まで全否定していたのかという問いも有り得ましょう。したがってブッダは徹底した唯物論者、三界否定論者だったのかどうかについて、どう考えますか? という設問こそ真意であったことになります。 サーンキヤ学派における解脱とはプラクリティとプルシャが別の存在と認める事
サーンキヤ学派の解脱はおそらくこういう意味だろうという私の想像を書きます。
サーンキヤには梵我一如の世界観はありません。(前提)
プルシャがプラクリティーを観ることによって五蘊がでてくる。
五蘊が出てくるってことは人間として転生に入るってこと。
なのでプラクリティーから五蘊がでてくる事を阻止できれば解脱。
プルシャは自己で男性原理であり観るもの。
プラクリティーは自性で女性原理であり五蘊を生みだす観られるもの。
男性原理が女性原理に興味がなくなたら(別の存在と認める事)
観る事がなくなるので五蘊が出てこなくなる。(輪廻することがなくなる)
なので解脱。
こういった解脱の世界観だと思います。
男性原理は観るだけの清浄なもので
女性原理は五蘊を生み出す(輪廻してしまう)不浄なものっていう認識だと思います。
なので悟りを目指す者は不浄な者と結婚しないんでしょうね。
独身を貫き通す。
そして男尊女卑になっていくんだと思います。
これはくだらない世界観だと思いますし
私は結婚した方がいいよって立場です。
アビダルマは無為法の托滅に正しい知恵による煩悩の止滅、涅槃のこととあり
これはプルシャとしか意味が取れないのでプルシャを悟ったら解脱だと思います。
宗派、学派によって解脱の概念が全く違うので
解脱という言葉だけでは何を意味するのかわかりません。
ゴータマは無明の撲滅による輪廻からの解脱を言っています。 オウムは日本のアルカイダだったのか?
アルカイダは自発的自然発生的に出現した集団などではなく、某国情報機関によって
支援され、育てられたといわれます。日本のオウム真理教も、似たような噂が囁かれ、
実際にテロを実行しましたが、その裏では情報機関等によって支援され、誘導された側面があったのでしょうか?
【地下鉄サリン事件の真相】オウム真理教を操っていたのは、生長の家と天皇家
https://www.youtube.com/watch?v=LVRirO_8ZPQ
oni********さん
2019/8/215:26:16
よく気がつきましたね!
最終大魔境至ー大無知大狂人ー大悪徳者ーニセ仏陀の麻原くんは?
ヒンズー教のアルカイダを作ろうとしていました。
詳しくいいますと、白色同胞団体と似たような組織にしたいと言っていたそうだ。
白色同胞団って???
どういう団体?どういう団体を作りたいのか?
と聞いたら、グルの血を飲んで敵対する相手の人肉を食べるそうです。
そして超過激はつくる予定でした。
この話しは元幹部から聞いたはなしです。
pla********さん
2019/7/3122:57:00
ボ、ボクは小学生でしゅが・・・
不明な部分は警察庁長官狙撃事件がもっともなところであり
主要逮捕者の証言でも証拠がとれなかった。サリン散布が強制捜査をかく乱する目的
なら実行日時の指定にそういう内通があったとみて、その後の平成時代が暴力団の組
織的壊滅および国内的には法秩序の安定にはいっており、オウム真理教が公権
力によって影響をうけた所作は国際的無差別テロを計画したアルカイダではなく、
政権を奪取しつつ権力による上からの暴力革命を画策した事件の性格は、
ナチスドイツにもっとも近いです。警察が不明としつつあるところがあっていろいろ調べられても
外国勢力との関係性が確証をえられないのは、国内要因のバブル経済の影響が強いと思われます。 始覚・縁覚・本覚という場合の「本覚」は、インドではほとんど唱えられず、大乗仏教を理論化したナーガールジュナ(龍樹)の「中論」でも、
もう一方のアサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)の瑜伽行派・唯識派の「成唯識論」でも「摂大乗論」でも、いわゆる如来蔵思想・本覚思想は唱えられて
いません。
それが登場するのは仏教が中国に伝わる過渡期の「大乗起信論」などの文献です。
本覚思想あるいは如来蔵思想というのは人間には生まれつき「仏性」を備えているという思想で、中国と日本で発展した思想です。
「天台本覚論」といわれるように、比叡山の最澄の弟子の安然や円仁によって大成されました。
日本仏教の特色は「山河草木悉皆仏性」といわれるように人間と自然を一体と見るものです。
日本人は死ぬと自然に戻ると考えました。
ここから、人間は死ぬと「仏」になるといわれるようになりました。
今でも日本人は死ぬと「仏になる」という言い方をします。 >修行は最終的にヴィヴェーカ ヴァイラーギャかな。識別と切り離し。想念に巻き込まれず、切り離して観察する。
真我探求、ヴィパッサナ ブッダの説いた無常・空・非我とは
中観よりもっと徹底した、実在性・存在の否定を示唆するような思想だったのではということでした。
スッタニパータを見てもわかるように、ブッダの視点は、生死の暗部から目を逸らさせる一般人への気兼ねさえ越えた面がある
もので、人間や世界を見る眼差しに何らの迷妄もまじえない
如実知見・無執着のあり方を説き示す ものだったのではないか 123便の後を2機の自衛隊機が追尾していたことは、非常に多くの人々の証言から明らかで、
また自衛隊員からの不祥事に関する電話の件などから(さらには当時の首相が休暇中に緊急連絡を受け、
撃墜指示を出した会話が盗聴されていた話もかなり昔から流出していて)かなり早い段階で官邸サイドも連絡を受けていたと思われます。
いまだにもみ消しのようなレスが多く散見されるのは不思議で、また他質問では、不審な回答者までが
「事故調査報告書信者の政府の手下が、質問者や真面目な回答者を貶めるための工作をしている」旨の投稿をしていました。 123便報告書の誤りを指摘する声が根強いようです。 オレンジエアと聞こえますが、ギアと指摘する専門家が結構います。
運輸省の閉鎖的官僚主義が事故調査を不完全なまま終了させたと多くの人が考えています。
15年目の検証
https://www.youtube.com/watch?v=_WzQNEkkoiw
(日本航空のジャンボ機の事故について「自衛隊のF-4戦闘機が撃墜した」や「生き残った人を火炎放射器で焼き殺した」というのは前から
米軍の支援を断わった理由は何か? というのもあります。
日航123便の墜落事故が起こった1985年8月12日に、相模湾で当時の新型護衛艦「まつゆき」が試運航中で、兵装運用実験を実施しており、
(諸説ありますが)既に公表されているか又は未知の無人標的機あるいは自衛隊によるミサイル誤射でジャンボ機が損傷、横田基地への着陸が阻止
され、群馬県山中に誘導され(許しがたい事が実行され)
現場確認後、人命救助よりも、証拠品隠滅が優先された、との説が根強くあります。
また自衛隊関連の失態と思わせることを目的とした謀略があった可能性もあるでしょう
ボイスレコーダーの
「スコーク77」および「オレンジエア」の発声が確認できるとの声もあり、乗客だけでなく搭乗員が123便に接近していた
航空自衛隊演習用兵器(の呼び名であることから)を視認していた可能性があり、
123便は、「オレンジエア」によって尾翼の大半を喪失、操縦不能に陥ったとの指摘もあるのです。
謀略とは、国際的なものという意味 またボーイングの製品を買いますから真相追及はやらないでくれとの裏取引があった
事をうかがわせる経緯・その後の金の動きが見られるようですね。
事実を隠蔽した可能性が高い
https://www.youtube.com/watch?v=H7MVF14ir8Q
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌
https://www.youtube.com/watch?v=ceY_C8rHn-I
御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について
https://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo
日航ジャンボ機 JAL123便墜落事故(M氏の証言1_2)
https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY 1985年の123便事故発生直後には
都市部への墜落危険性に関する見解を利用し、時の首相に撃墜指示を出させたとする指摘が昔から
あった
Q
ハイジャックされた航空機が撃墜された事例はありますか?
また市街地等に落下危険性がある航空機を郊外に誘導したり
安全な場所で撃墜しようとした(準備や計画、想定も含めた)事例は世界的にみて、これまでにありましたか?
Ans
9.11の時がそうでしょうね
航空機三機がハイジャックされて
一機はセンタービル
一機は連邦議事堂
一機はペンタゴン
でしたが
そのうちの一機は戦闘機で撃墜されているでしょう
※御巣鷹山の事故は尾翼に米国戦闘機が接触した後の事故だと言う
某大手新聞社の記者さえいますし
個人的にもそうだと考えています
当然、多くの証言者がいらっしゃいますが、それを無視しようとする向きがあるのは全く不思議で、
もみ消したい動機が発生してると考えるのが自然な気がします。これだけ
調査報告書の欠陥を指摘する声があるにも拘わらず政府見解に固執するのは当事者または利害関係人等と疑われるに十分過ぎる理由があると思われます。
撃墜された日本航空123便1
https://www.youtube.com/watch?v=Gu5RMeGbpWg ボガチョンコフ事件について。自衛隊最高幹部もロシアのスパイをしたとニュースになったりしましたが、
そうした事件のうち、2000年の秋ごろ発覚した事件の詳細を教えてください。
事件の概要は、難病の子供をもつ防衛研究所所属の三等海佐が機密文書を無許可で複製。ロシアの駐在武官で、GRU
(軍参謀本部情報総局)の大佐・ボガチョンコフに手渡していたという事件です。自衛隊法違反の罪で懲役十月の実刑判決を受けたそうです。
この事件で不可解な点は、「ボガチョンコフはHに寄り添うことから始めた。Hが宗教へ入信すると共に祈ったり、家族旅行を支援したりして親密な関係を築いていった。」
とされる点で、宗教というのは日本の新宗教のようですが、入信したのは、ボガチョンコフが先だったのでしょうか?
その他この宗教についての経緯について、ご存知の方いましたらお願いします。 キリスト教系ではなく、仏教系。顕正会って霊能者いるんですか? 違いますよね。
以下のような話があります。
「夫は新興宗教にのめり込み、人間性を変えられてしまいました」
妻はうなだれたまま、
「夫の入信に私は反対していました。ボガチョンコフ大佐が信仰に共感してくれたのがうれしくて、夫は資料を渡してしまったようです。
宗教が今回の事件の一番の理由だと思います」
萩嵜被告は、宗教と情報漏洩の関係について、次のように証言した。
「友人に誘われ、はじめは懐疑的だったが、霊能者の話や奇跡が起こった話をたくさん聞くうちに信じるようになった。
ボガチョンコフを教団施設に2度連れて行ったが話を聞き、涙まで流してくれた。妻には宗教に反対されていたのでボガチョンコフが唯一の理解者だと
感じ、(防衛資料が欲しいという)要求に応えてしまった」 ある種の懺悔ですよ
月面着陸は嘘だったのです。月面着陸の全てはインチキです。
そして私は、それを撮影したのです。
いや、人類は月には行っていないんだよ
スタンリー・キューブリック
https://www.youtube.com/watch?v=UY3-T-gyfPs
アポロ11号のバズ・オルドリン氏が「私たちは月に行っていないのです」と言った時の映像
https://www.youtube.com/watch?v=fWl70qq_qX0
彼らは悪事に加担している事に悩み、
故意にミスを犯して、そのミスが
いつか発見され、世間に公表される事を望んでいた・・・
アポロ計画の嘘 徹底検証 part1
https://www.youtube.com/watch?v=b0dAgsOPxsg
人類は月へ行っていない
という海外で制作された番組も大変興味深いもので、人が宇宙の放射線には耐えられない事がわかりやすく解説されています。
https://www.youtube.com/watch?v=xiSnTX69aQ4
大槻義彦、月面着陸を否定
https://www.youtube.com/watch?v=zLEZexHQRwk ミサイル誤射による民間機撃墜は前例が複数あり、政府がもみ消しに動いた史実を知っていますか?
1996年の米トランスワールド航空800便墜落事故
事故調査の結論は電気配線ショートから燃料タンク引火とされたが、
CIAと無関係の調査をしたNTSBの調査官6名は事故から17年後の2013年、
「当時の報告書は嘘で、本当の事故原因は誤射された米軍ミサイルだった」と暴露。
この事実は日本では報道されず、映画も非公開。
1968年のエールフランス1611便火災墜落事故でも調査結果が捏造され、
実際はフランス軍の誤射による撃墜であったことが2011年に
元仏軍秘書官ミシェル・ラティによる証言で判明。
マレーシア航空機撃墜事件で新たな証拠映像公開
https://www.youtube.com/watch?v=uGDxHiH93SM
米軍のF/A-18Eに撃墜されるシリア空軍のSu-22
https://www.youtube.com/watch?v=k1QsHqD-lj8
数日前にUPして削除された動画です!
https://www.youtube.com/watch?v=WpKFZ5igsmI
9.11 ミステリー1 911事件の謎
https://www.youtube.com/watch?v=1uw3m0FS06I
9.11 ミステリー2 911事件の謎
https://www.youtube.com/watch?v=KEc5t-m-8_c 暴力団にみかじめ料を払わされている個人商店の経営者なら、そのうわまえを撥ねている警察が、いかに卑劣な犯罪組織か、よく知っているでしょう。
また、それ以外の人でも、警察が裏に回ったら、平気で多くの国民を殺している卑劣な組織だって、小耳にはさんだことぐらいはあるでしょう。 日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案である
JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者では
http://rapt-neo.com/?p=28575 「J-Payment」のような、警察や自衛隊等の不正「等」を告発する質問が掲載されたとき、警察や自衛隊等の不正「等」を隠蔽するためのアルバイトを雇って、
警察や自衛隊等の不正「等」の隠蔽工作を行っている会社がある @『ボイスレコーダーにも残っていないし』
これウソです!
残ってないのではなくて、問題は、このボイスレコーダーが、改ざんされているということです。
➡ 公表されているボイスレコーダーの音声は、政府・自衛隊にとって
不都合な部分を削除して、編集されたものだとみるのが、最も合理的でしょう
A
当時の総理大臣中曽根康弘氏は自衛隊幹部に電話で「私はそんなことを指示する
ために総理になったのではない」と言った。
ここでいう『そんなこと』とは何だったのでしょうか?
≪参考≫
乗員乗客殺害部隊の存在
8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクで駆けつけた若者達2人。
生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。
この人は助かる、と確信。既に
到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。
しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。
大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターが
ホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。
「JAL123便墜落事故−真相を追う− 闇夜に蠢くもの(4)」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a
↑
以上、M氏の証言でした。この証言からわかることを、以下箇条書きにします。
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に
自衛隊員が既に100名程度来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4〜50名の生存者の声が聴こえた
・1時間後には生存者の声が全く聴こえなくなった おそらく123便事件の生存者4名にも、24時間体制で、自衛隊の監視が付き、私と同じような脅迫を受けているのではないでしょうか?
B自衛隊が、民間旅客機を撃墜したのは、私が知っているだけで、これが3回目です。
1952年の もく星号墜落事件
1971年7月30日、全日本空輸の旅客機墜落事件
私が知らないだけで、本当はもっと多いのかもしれませんね。
自衛隊の隠蔽工作員は、公安警察官と同じで、隠蔽工作をする代わりに、莫大な給料をもらっている輩達です。
「自分たちがやったことが悪」なんていう思う倫理観なんて、そもそも持っていませんよ。
これは自衛隊から雇われているアルバイターも同じです 全く演習場も無い場所で山地機動訓練をやる意味って何だったのでしょうか?
やっていたとしたら山地機動訓練と
事故のあった直前?
或いは84,3年辺りにやってた筈。
上野村の村長さんがインタビューに答えた記事があった。
事故が起きたのも凄い「偶然」と皆思ったかもだが
そんなウマ過ぎる偶然があるのだろうか?
これで浮き彫りになったのは、
まともな小飛行場すら無い場所へ
故意に誘導したなら
それは最初から撃墜目的だったという事
日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案である
と主張する人もいるようです
「日航123便 墜落事件」
https://www.youtube.com/watch?v=A9ftP-Mtqqw、
【初公開・23年前に製作されてお蔵入りになった番組】日航123便墜落事故検証特番
https://www.youtube.com/watch?v=AB_Vysfgzuo
「疑惑のJAL123便墜落」国土交通委員会 質疑(2019.6.12)
https://www.youtube.com/watch?v=xEsrtzl8loU
日航ジャンボ機 JAL123便墜落事故(M氏の証言1_2)
https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY
Flight 800 (TWA 800)の事故原因に関して、
事故調査の解明にあたったNTSBの元職員など6名の元事故調査官が、記者会見を開催し、報告書にまとめられた事
故原因は嘘である
とする衝撃的な発言を行ったことが波紋を呼んでいる。
https://archive.is/20141019173237/http://www.businessnewsline.com/biztech/201306200801430000.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) 艱難汝を玉にす、というような言葉は、そういうものが紹介される以前からあったのだと思いますよ。
樹木の年輪を見ても、厳しい北風の当たるところは、固く丈夫になる。そういうのを古代の人々も見ていたと思います。 79.輪廻は科学の問題である。
それは宗教問題ではない。
バカには理解できない。
大爆笑である。 李氏朝鮮と安倍晋太郎・横田早紀江とロックフェラーの関係
ロックフェラーの原発による核爆弾原料入手計画と組んだ李氏朝鮮の
残党の李一族が日本人になりすまし、パチンコ裏金で警察をおさえ、
警察を使ったマスコミ殺害・言論統制と統一教会と組んで乗っとりを進める
という 戦後の秘密工作があります。
「父は警察庁と天下り先の業界団体の関係­を調査していた」
石井紘基議員は何故殺害されたのか 1
https://www.youtube.com/watch?v=7szpgjkAecs 上座部に執着してるものこそ凡夫で無明の中におり、
自説に固執してるだけなのだと感じますね。 現在、上座部を名乗っている教団の正体を知っていますか?
部派仏教時代に上座部の中で有害な説を説く異端分子が破門になりました。
その異端分子を分別説部といいます。その後、本来の上座部が滅んだのをいいことに、
分別説部は自分たちが正当な上座部だと主張しました。
つまり現在の上座部は元々異端分子なのだから本当の仏陀の教えなど伝わっていないのです。 そもそも大乗仏典で「小乗」と叩かれてるのは、釈尊の原始仏教ではなく、部派仏教全体でもなく、上座部の中でも説一切有部だけのはず。
大乗仏教の経典もおそらく上座部の法蔵部から生まれてきたもので、その根底には原始仏教があるのに、後世の人はなぜ原始仏教、部派仏教全体を小乗と誤認したのかな? 『インド密教学序説』35ページに下記の言葉が書かれています。
『小乗仏教は涅槃をえ、苦を逃れ、その結果として生と再生の反復を免れ、また、ついには全き我の消滅に達する。しかし、忘れてならぬことは、たとい涅槃をえる
ことができたとしても、かれらは全き真理を証しえず、また、かの超絶的真理を覆えるヴェールを覗くこともできず、また他人に救いの知恵を与えることもできない
のである。 かの超絶的真理を覆えるヴェールを除くこともできず、また他人に救いの知恵を与えることもできない
のである。
要するに、自己満だけ、オナニィ、自己陶酔・利己主義
エゴイスト。。。sanとか、イヤーーな感じを周囲に与えるだけのオタクが多いよなw 小乗のやつらが耽ってる事ってオナニィに過ぎんよなww まず自分が悟ってみないと救えないんじゃない?
悟っていないのに救うって、それは人助けレベルであって、根本的解決じゃないですよね。 如来蔵が無自性で仮設なら別に非仏教じゃなくないか?
ダートゥヴァーダ(基体説)でもないし >>89
大衆を救わないと自分も悟れないというのが大乗の考え方だから同時進行でも良いんじゃない?
ボランティアしないと解らない事だって有るだろうし 世俗の仕事をしながら日々練習して、
たまの休みや土日に、地域の子供や希望者と練習(或いは指導)するべきで、
専門の育成所で(―たとえば国際試合で頂点に立とうと―)トレーニングするようなのは、
「利己的だ」「自己中だ」と弾劾するから、大乗は嫌われる。 >>93
そうした世俗のカーストを否定したのが仏教なのに新たに別のカースト立てちゃダメでしょ?
その人が悟ってるかどうかは他の人を悟らせられるかどうかで評価されるのは最初期の仏教でも同じ事なんだし 元々の仏教に他者救済の概念は有ったんじゃないの? >>94
勿論、梵天勧請とメッタスッタ、及び成道後の行履を見れば、
利己と利他は両輪であるべきなわけだが、
部派時代の仏教に利他はなかったかどうかなのでしょうし、
仮にあったとしても、「それは『利他』にならない」というのが大乗の論理。 だから、原始仏教が小乗なんじゃなくて説一切有部だけが小乗なんだって
原始仏教→法蔵部→大乗なんだから 大乗仏教は大衆部よりむしろ上座部(おそらく法蔵部)から生まれたというのが今の通説だろ
龍樹だって叩いてたのはあくまで説一切有部
小乗は説一切有部のみ
大乗はおそらく上座部から分かれた法蔵部の菩薩蔵、密教は呪蔵からの発展
現代残っている上座部は分別説部、大乗(法蔵部からの発展)でも小乗(説一切有部)でもない
原始仏教や部派仏教全体を小乗と思うのは大間違い
インド仏教史など何も知らない中国人が誤解してそれらをまとめて小乗と思い込んだだけ >>95
熱烈なブッダフリークの龍樹が何を以て説一切有部を小乗と酷評したかじゃない?
ターゲットが上座部全体じゃなかったというのもポイント >>98
上で騒いでた人は、そういう限定小乗ではなさそうだけど?
また、
小乗=大乗以外
って、今だに一般的みたいだし。 >>99
未だにそんなアホな事を言ってるのは正宗系だけでしょ?
少なくとも日本のマトモな大乗諸派で上座部全体を小乗と呼ぶ宗派は無くなった訳だし
逆に大乗諸派で釈迦の教団よりも多くの阿羅漢を輩出した部派は?って問いかけたら日本仏教で挙手出来る宗派は皆無なんだから… >>100
>日本のマトモな大乗諸派で上座部全体を小乗と呼ぶ宗派は無くなった訳だし
え、それはどこの世界線の大乗宗派・・・? 10月6日、幸福の科学・東京正心館前で再び抗議活動
https://twitter.com/JusticeTruth8/status/1178651026766696448?s=20
10月6日、幸福の科学・東京正心館前で再び抗議活動を行います。
インチキな霊言で香港民主化運動の足を引っ張る幸福の科学・大川隆法に
インチキな霊言の撤回を求めます。
皆様、奮ってご参加ください。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 小乗仏教と言うのは我空法有の部派仏教全体を指すこともあります。
これだと現在のテーラワーダも我空法有なので小乗仏教です(テーラワーダでは勝義諦として心、心所、色、涅槃の4つを究極的な実在とする)
一方の大乗仏教は我空法空です。
龍樹の中論は小乗が個人の悟りで完結しているのを批判しているのではなく、小乗の我空法有を批判しています。
大乗仏教は言うまでもなく我空法空(人法ニ空)です(大乗仏教の勝義諦は空であり万物(諸法)に実体はないとなります)。 103はやっとまともなレスだね
しかし102までは
悪い声聞たち。
しかし、こいつら声聞ですらないだろ?
何もさとってなどいないのは、読めばすぐワカルし
読むにも価せんゴミレスノ連なりダ 見苦しいよ
じゃ、有部をけなしたり、やたらスリランカタイミャンマー方面の土人の二乗教持ち上げたがる理由は何か
けっきょく
マスターベーション+ご商売の宣伝なんやろねw
キモイからもうやめなよ >>101
は?
どの宗派も上座部教典の研究始めてるけど? >>103
我空法有だとどうして小さな乗り物で 我空法空だとどうして大きな乗り物なの?
思想と名称の関係を詳しく >>106
小乗仏教 我空法有
でググるとその関係性が詳しく説明されているサイトがけっこう見つかりますので、時間があるなら検索してご自分でそのサイトをお読みになってそこに書いてあることの是非を考察されるのもよろしいかと思います。
まあ端的にまとめると我空法有のグループはだいたいが個人の悟りを優先、我空法空のグループは大衆とともに悟ることを目標としていた、
ので我空法有派は小乗仏教で我空法空派は大乗仏教派ということになります。 小乗仏教 我空法空
でググって分かりやすいのは簡潔にまとめられている下記サイトですかね。
空の思想 1.なぜ、空の思想が生まれたか
http://www.obpen.com/essay/20151208_01.html >>107
我空法有の場合何故出家者のみでなければならないのかがよく解らないけど 上座部側の言い分として自らが悟らないのに他者を導ける訳が無いという事に対する返答はどのように?
大乗派生以降も覚者を最も多く輩出したのは最初期のサンガだから 上座部も大乗も共に成功したとは言えないのでは?
「我々に本物のブッダを見せよ」という大衆からの問いかけに答えられる部派は有るの? >>104
このスレで一番レベルの低い書き込みだね タイミャンマースリランカ等の土人の教義に執着するのは何故か? ときいてるだけだよ
思ってもいないことと関係ないこと書いたら嘘つきだと思った方つい感じたままを書いてしまった
日本人(かどうかわからんけど文章から見てそうと判断した)が東南アジアの
しかも分別説部の流れの枝葉末節に固執する意味がわからん
それも因縁であろうが、有部はレヴェル高いよ
倶舎八年だよ、理解できてる? >>109
ダンマパダ
157 もしもひとが自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。
158 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。
159 他人に教えるとおりに、自分でも行なえ──。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。
160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
http://hosai.world.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm
この辺の教えには部派仏教(小乗仏教)は忠実と言えるかもしれませんね。
ただその成れの果てが本当に部派仏教の目指す灰身滅智であるとしたら個人的には虚しいとは思いますが。 >>112
出家だけが成仏出来るという事の明確な根拠は?という大乗側からの問いかけに対する答えとしては弱いよね?
ゴータマの教えを聴いて即座に悟った在家の話はどうなるのかも含めて… >>111
>それも因縁であろうが、有部はレヴェル高いよ
>倶舎八年だよ、理解できてる?
倶舎論は経量部の一派(唯識思想を偽装した架空学説)と有部思想の合成だけど
有部そのものじゃないな
大毘婆沙論とか阿毘曇心論が有部 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています