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縁起とか因縁というのはカルト団体信者が思う(喋る)ような単純なものでしょうか?
新宗教の信者などはそれを何か祟り的なものや避けられない運命的なものというような感じを匂わせ
脅しに利用している気がします。
本来、縁起というのを突き詰めて行くと、それは無常なものであり
無数の重ねあわされた雲のような多くの可能性の中から、自分の心が一つの結果を選び取り観測する面がある
と言えないでしょうか?
因縁を固定したもの・動かしようのないものと妄信するのは過去の出来事の解釈なら兎も角
現在以後についてはナンセンスではないでしょうか?