>>730
>  2人で行くような無駄、というのは何か師などに頼って自分の意志を2番目にしてしまうという事かな。 師が言うからとか誰かのせいにするのではなく、自分の気持ちで進む。
   今は修行をせずに知識を訊くばかりの人が多いと思います。 私も心から心へ伝えていきたいです。
   幸せを追い求めず、苦しみから逃げず、 ただ心が感覚対象に触れるのを観察しようと思います。
   誰かがこういった、だから安心、とかではなくて、 自分は実践しているのか?を自問自答することですね。 』


もう一つ別方向からの説明をしてみます。
JESUSさんは、こう言います、
この道を一人で行くな、必ず二人で行きなさい、
わたしの教えは直ちにすべての人に受け入れられない、
むしり厳しい弾圧を受ける、
それは一人では耐えられない、
だから、二人でなら耐えることもできるだろう、だからこの道を歩むものは二人して歩み行きなさい、と言う。

同じく、法(真理)を守り、法を伝えようとするお弟子さんへの思いである。

仏教が伝わっていく国々で、仏教が戦争をもって伝わることが鳴邪ったのは、初めにBuddhaのこの心が有ったからです。

あなたと違って私は修行をしたことが有りません、
檀家しているのが禅宗ではないので、
そして坐禅をしません。
いす禅です。
50を過ぎたころ、股関節を傷めて。
わたしのいす禅はシンプルで、頭のてっぺんを上に引っ張り上げられるように、そう言う風にして、ぼーっとしています。
云わば、ボートピープルです。
苦楽と言うので、苦楽が有るのでしょうね。
これが楽、これが苦と。
好き嫌いをしない、
唯嫌揀択(ただ けんじゃくをきらう)
苦も楽も無い、のです。

読心術、
一人で生きていく方法では無いのですが、相手の気持ちが分かればいいな、と高校生でした。
そのころ読んだ本には、こう書いてありました、相手の立場に立てば相手の心が読める、わかる、と言う事でし8た。
いま思えば、フンフンとうなづけます、まさにその通りなのですから。
でも、その頃はよくわかってなくて、何人からもいいお返事はいただけませんでした。
余談が多くなりました。