第3救済 慈喜徳会って何?
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新宗教でしょうか? 真如苑などで懲りたので、その手の団体なら敬遠したいが
実態がイマイチよくわからない。
カルトの罪業・・・陳腐、幼稚な言語表現力で(本来語れない筈のものを)無理やり語ってしまってる点
しかもニセ仏説(時には仏僧を偽装し、偽経とかから剽窃し、鰯の頭を仏と称するが如き偶像等々拝み火を焚き)を獲物たちに売りつけ儲けるべく企む
そんな如何わしい詐欺みたいなカルト商売ならやらんほうがマシ。
(本来、誰もが如来なのだから、
自分だけ如来で下々の者らは全部未満者で、金クレ人脈・金脈クレ労働力クレはインチキだから
カルトの真似などしては絶対ダメ)
で、ココはどうなんだろ? 仏教は、ウパニシャッドや他のインド思想、もっといえば
世界中の宗教と隔絶したものがあります。
それは「無我」です。
無我こそが仏教の核心部です。
仏教を学ぶためには絶対に無我から離れてはいけません。
『仏教はヒンドゥー教(バラモン教)から枝分かれ
したもの』というような学者もいますが、それはとんでも
ないボンクラと言わなければなりません。
それは無我が分かっていないからです。
>大乗仏教・如来蔵思想を正確に理解しようとした時に
どうしてもインド哲学との共通性に引っ掛かるのです。
それは大乗仏教にインド思想が混入しているから明確に
たて別けることができないからです。
引き摺り込まれないためには、絶えず「無我であること」を
心の芯においておく事です。 宗教法人を取らずに宗教を名乗ると違法とかってありますか?
いいえ
法人格でないからといって宗教を名乗ってはならないという法律はありません 不動明王はヒンドゥー教のシヴァ
起源についての明確な出典等、ご存じの方にお尋ねします。
wikipediaを見ても、「とする説がある」と一行つけ足してあるだけですが、
今のあの記載は百科事典としては全く貧弱であり、他の情報量とのアンバランスというか、
まるでカルト宗教の杓子定規なトークの受け売りみたいです。
wikiがおかしいことも含め、
半ば常識化している事柄まできちんと解説できないようでは
まさに大乗=非仏説を証明するような一例ではないかと感じてしまいます。 輪廻するのはやめたけれど、成仏もしないで浮遊霊になるケースはありますか? また、そうした霊がこの世の人々のために抜苦代受という事をしてくれると
いうのはアリですか?
さらに何か感情的なものが混じったり、言う通りにしないと,もう抜苦代受しないぞ,などと脅し洗脳するような真似もしますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14210146189 tmt********さん
2019/7/614:20:40
輪廻するのはやめたけれど、成仏もしないで浮遊霊になるケースはあります。
そうした霊がこの世の人々のために抜苦代受という事をしてくれると
いうのはアリです。
さらに何か感情的なものが混じったり、言う通りにしないと,もう抜苦代受しないぞ,などと脅し洗脳するような真似もします。
700歳の仙人とか,ただの不浄仏霊であるときがあります。 「諸法無我」と「物我不二」は矛盾しません。
「諸法無我」はこれが私だという実体は無いという意味です。
「物我不二」は今ここで実際に体験している世界の全てが真の自己という意味ですが、
実際には瞬間的に生じては瞬間的に滅している知覚があるだけであり、
物質的な実体は何もありません。
一つの解釈です。
「諸法無我」とは、外側に内側など無いと言っているだけで
「物我不二」は、内部(アーラヤ識)が諸法を生んでいるのだから一つ
という風に捉えられると思いました。
そうすると向きが逆なだけで
ことば上は反対に見えるけれども、両者とも真理と考えられます。説一切有部的世界観では物我ともに空とは納得されないかもしれず、唯識的アプローチだと全て円く収まるケースもあろうかと思います。 エマニュエル・スウェデンボルグの書いた「霊界日記」
タイトルだけ聞くと胡散臭いのですが、原書は大英博物館に収められています。
このスウェデンボルグという人は、カントと同時代の人で、
当時のヨーロッパでは不思議な人物として、最も有名な人でした。
実は専門はオカルトではなく、物理学、数学、化学などで偉大な業績を残している学者なのです。
ある日突然、生きたまま霊界と現世を行き来することができるようになり、
遠くの火事を予言したり、国王のなくした物を言い当てたりすることができるようになりました。
彼の語る天界と地獄界の構造には非常に納得できるものがあり、
勇気付けられる部分も多いです。
つまり、現世で一生懸命生きたことは必ず報われると信じられるようになるから。
カントは面会を希望して手紙を出したのですが、断られたというエピソードが残っています。
フロリダ在住の精神科医が「前世療法」という本を書いているのですが、
そこに出てくる事柄のいくつかが、スウェデンボルグの霊界日記に出てくる事柄と
共通している部分があり、これによって彼等の語る死後の世界を信じられる気がするのです。
前世療法も、催眠療法を使う精神科医が体験した症例を紹介した本当の事例なので
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1376919963?__ysp=5Y2B5L2P5b%2BD 第十住心のみ深秘釈を与えて密教の世界を鮮明ならしめている。
第十住心の密教の世界は説段ごとに龍樹の『菩提心論』三摩地段を引用している。
空海は三摩地法門なる密教特有の瞑想実践の部門の理論的根拠を『菩提心論』にもとめ、『十住心論』の九顕十密に対して、
『宝鑰』が九顕一密といわれるとおりの立場を明確に打ち出している
第一住心=異生羝羊心−倫理以前の世界
無知な者は迷って、わが迷いをさとってない。雄羊のように、ただ性と食とのことを思つづけているだけである
第二住心=愚童持斎心−倫理的世界
他の縁によってたちまちに節食を思う。他の者に与える心が芽ばえるのは、穀物が播かれて発芽するようなものである。
第三住心=嬰童無畏心−宗教心の目ざめ
天上の世界に生まれてしばらく復活することができる。それは幼な児や子牛が母にしたがうようなもので、一時の安らぎにすぎない。
第四住心=唯蘊無我心−無我を知る
ただ物のみが実在することを知って固体存在の実在を否定する。教えを聞いてさとる者の説はすべてこのようなものである。 第五住心=抜業因種心−おのれの無知を除く
一切は因縁よりなることを体得して無知をとりのぞく。このようにして迷いの世界を除いて、ただひとり、さとりの世界を得る。
第六住心=他縁大乗心−人びとの苦悩を救う
一切衆生に対して計らいなき愛の心を起すことによって、大いなる慈愛がはじめて生ずる。すべての物を幻影と観じて、ただ心のはたらきのみが実存であるとする。
第七住心=覚心不生心−一切は空である
あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まって何らの相なく安楽である。
第八住心=一道無為心−すべてが真実である
現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して、仏(大日如来)というのである。
第九住心=極無自性心−対立を超える
水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。
第十住心=秘密荘厳心−無限の展開
密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現われて、あらゆる価値が実現されるのである。 不動明王の起源はヒンドゥー教のシヴァというのは常識ですよね?
8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」巻9に「不動使者」として著されたのが
最初ですから仏滅後千二百年後に出来たキャラクターと考えられます、
シヴァ並びにヒンドゥーが密教に流入した経緯について解説お願いします。
起源について
wikipediaを見ても、「とする説がある」と一行つけ足してあるだけですが、
今のあの記載は百科事典としては全く貧弱であり、他の情報量とのアンバランスも奇妙で、
まるでカルト宗教の杓子定規なトークの受け売りみたいです。
wikiがおかしいことも含め、
半ば常識化している事柄まできちんと解説できないようでは
まさに大乗=非仏説を曖昧化させるための歴史歪曲の例ではないかと感じてしまいますね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13210184953 仏滅後千五百年以降、現代に至る「末法」の世においては、肩書だけは僧を名乗る者たちが現われる。
そのような僧籍にあるという肩書などを尊いものと見做しても、ろくなことは無い。
また末法の世で厳しく戒律を守る僧がいたとしても、超ー珍しい現象で、街中に虎が出現し、うろついているような感じになるであろう。
誰も、そんな現象があるとは夢にも思わないだろう。 護摩供養は迷信です; 儀式では真理を発見することはできません。 四弘誓願しぐせいがん
すべての菩薩が修行の初めに起す4つの願い
(1) 誓ってすべてのものを悟らせようという願い (衆生無辺誓願度) ,
(2) 誓ってすべての迷いを断とうという願い (煩悩無量誓願断) ,
(3) 誓って仏の教えをすべて学び知ろうという願い (法門無尽誓願学〈知〉) ,
(4) 誓ってこのうえない悟りにいたろうという願い (仏道無上誓願成〈証〉) 。 今の日本には、坊さんの恰好をして
無我説完全否定論を唱える者までいる 祭祀主義に対する批判であったのが、その批判対象であった部分も密教や大乗の中に混入している
ヒンドゥー教(バラモン教)混入は仏教衰退期と
重なります。
ですから大黒天や吉祥天などのヒンドゥーの神々も
取り入れたのでしょう。
護摩はもともとヴェーダ聖典に出ているバラモン教の
宗教儀礼であるホーマです。
『バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると
考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る』
一般民衆の神への願掛け等、俗信・迷信を
儲ける事業に利用している訳ですね。
一般の寺や神社では、軽い段階で済むものが
新宗教になると妄信・狂信の段階まで煽って搾り取るのですから
とんでもないことと思います。 真言教学の形式上の理想論というより、実態面といいましょうか、
真言宗から派生した団体では教学的にも本筋から逸脱して、
捻じ曲げられた独自教義が独り歩きし始めており、そういう団体では学校まがいの教育機関にて教学的なことを教えていて、
一般の在家信者はそのような機関で教わった知識をもって本当の仏教だと信じ込んでいます。
それがさらにすすんで、たとえばウィキペディアのようなところにそうした変な情報を書き込むので、
一般人の理解まで影響され歪められる弊害が出始めているかもしれません。日本の中世においても立川流のような異端の流派は興り、結果的には淘汰されましたが、
これからの時代、暗黒時代に再突入しないとも限りません。
現代の支配階級として、どのような団体があると思いますか?
企業統治体・国際金融資本・ジャパンハンドラーズ・カルト団体等
挙げられましょうが、政治家や官僚、メディアもお飾りや駒、ただの道具でしかなく
秘密裡に権力の掌握、三権の制御、大衆心理の操作がすすんでいるとお感じの方も多いでしょうか?
選挙結果も意のままに操れるとするなら、完全にこの国の実権を握ったも同然です。報道や集票システムも厳しくチェックされるべきですが
それ以前に人々の心理を操る存在として宗教がありますね。たとえば
洗脳して儲ける団体には
伝統仏教に分類される寺から派生した新宗教もあって、そういうのは妄信狂信レベルまで信者を煽り、収奪を進めます。
結果、土地や仏像を買い漁り、それでも金は余り、政界やメディアにまで金をばら撒いて現代のバラモン階級に成り上がらんとする勢いです。
さらにネットまで工作の手を伸ばして、言論統制をすすめているかに見えます。悪魔の誘いに乗せられては破滅と考えます。 ブッダは梵我の実在原理を否定したのか?
バラモン教では、色界の実在原理、無色界の実在原理をプラクリティ、プルシャとし。
説一切有部Ðでは、一切の実体性を有りとした。
唯識は、識には実体性を認めた。(プルシャと共通?)
一方、中観派帰謬論証派は一切の実体性を否定した。
ブッダの立ち位置に最も近いのは、どの思想的立場だったでしょうか?
「世間を空なりと観ぜよ」と、光明の心を説くパーリ語経典増支部の「比丘たちよ、この心は光り輝いている」の二句から唯識も
捨て難いと思いますが、この場合の世間とは幻想としての五蘊というほどの意味なのか、梵という風に解釈すべきか
(つまり梵我の実在原理は否定しなかったのか、伝統的な梵我の実在原理を否定しきったのか)
という点についてはどう考えますか?、
どれも違う、もっと近い思想があるとの主張も歓迎です(が、カルトっぽい大乗経典宣揚はご遠慮願いたいです)
補足
ポイント
・ブッダは梵我一如を完全否定したのか
・梵と我は別と説いたのか(色界と無色界は異なる、というほどの意味なら当たり前です)
あと外側に内側などない、というのも自明ですが、迷信俗信に対するアンチとして、はっきり言っただけ
・どうでもよいことは語らぬけども、無価値なことに執着せぬがよい、とだけ説いた ベストアンサーに選ばれた回答
sia********さん
2019/7/2320:02:50
説一切有部だと思います。
五位七十五法の
有為法が五蘊であり一切であり無常。
無為法が五蘊を越えた実在原理。
無為法の虚空がプラクリティー
択滅がプルシャじゃないかな。
五位七十五法で調べてみて無為法を読んだら五蘊超えてるのがわかると思います。
ですが、有為法は無常と言いながらこれを含んだ七十五法は実在なので
どうみても矛盾しています。 ヒンドゥー教(バラモン教)混入は仏教衰退期と
重なります。
ですから大黒天や吉祥天などのヒンドゥーの神々も
取り入れたのでしょう。
護摩はもともとヴェーダ聖典に出ているバラモン教の
宗教儀礼であるホーマです。
『バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると
考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る』
(サンユッタ・ニカーヤ) 全ては相対的で、実体はない、ということですかね。
本当のブッダの立ち位置も中観派帰謬論証派よりもっと徹底した
存在の否定に近い立場だったのではとも思ったりします。
最古層の経典には、人間の死を科学的に捉える者の冷徹な眼差しがあります 許すことができれば自分の魂のステージが上がり、悟りに近づくという恵みがある。 所知障の消し方にはどういう方法がありますか?
知らなくてもヨカッタことがある。
また知ってしまったために後々、その経験や思いが習気となり、執着を生む素になったり、大きな目で見て苦の起源となっているような諸事もあるらしい・・・
案外子供の頃にそれが形成されたのかも、と催眠療法の研究を通じて、わかってきました。 何かの本や宗派の思想等から大きな影響を受けたけれども後になって誤りに気付き。思考のクセを取り除いた 仏陀自身が教義を書き残さず、経典に残すことを禁じていたのだから、すべての経典は仏陀の意思にそぐわないものという意味で偽典であろうかと思います。
どれが本物偽物というより、みんなダメ。
大切なのは文言や字面ではなく、仏陀との対話を通じて弟子の一人一人が気づかされたことであって、言葉自体は正確であったとしても、
他の弟子のもらった言葉は別の弟子の悟りの助けにはならない。 法則みたいな固定的常住普遍の実体があるわけでもない(無自性)
無我の境地
その人がどこまで行くかですが、
レベル4の唯蘊無我心〜レベル9の極無自性心ですね。
レベル10の秘密荘厳心は、
「無我」ではなく「大我」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10140024380?__ysp=5qW154Sh6Ieq5oCn 始覚・縁覚・本覚という場合の「本覚」は、インドではほとんど唱えられず、大乗仏教を理論化したナーガールジュナ(龍樹)の「中論」でも、
もう一方のアサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)の瑜伽行派・唯識派の「成唯識論」でも「摂大乗論」でも、いわゆる如来蔵思想・本覚思想は唱えられて
いません。
それが登場するのは仏教が中国に伝わる過渡期の「大乗起信論」などの文献です。
本覚思想あるいは如来蔵思想というのは人間には生まれつき「仏性」を備えているという思想で、中国と日本で発展した思想です。
「天台本覚論」といわれるように、比叡山の最澄の弟子の安然や円仁によって大成されました。
日本仏教の特色は「山河草木悉皆仏性」といわれるように人間と自然を一体と見るものです。
日本人は死ぬと自然に戻ると考えました。
ここから、人間は死ぬと「仏」になるといわれるようになりました。
今でも日本人は死ぬと「仏になる」という言い方をします。 ブッダの説いた無常・空・非我とは
中観よりもっと徹底した、実在性・存在の否定を示唆するような思想だったのではということでした。
スッタニパータを見てもわかるように、ブッダの視点は、生死の暗部から目を逸らさせる一般人への気兼ねさえ越えた面がある
もので、人間や世界を見る眼差しに何らの迷妄もまじえない
如実知見・無執着のあり方を説き示す ものだったのではないか 痴漢冤罪について、どう思いますか?
たとえば植草一秀さんのケース。有名人でしたよね?
株の番組に出たり、朝の情報番組でコメンテータとして、とてもしっかりしたコメントを
つけておられたと思います、しかし竹中と対立があって、それで狙われたという話よく聞きます。
また、それだけでなく、あまりにも不審で不自然なケースが多くなかったですか?
この痴漢には、本当のケースもあるでしょう。しかし被害者の申告によるものであり、証拠は乏しく、別人と勘違いするケースも
有り得るのではないでしょうか? それに目をつけた経済ヤ〇ザまがいの組織的関与が疑われる事例、明らかに特定の人物を標的にして人為的に
引き起こされたケースがあるようなのです。
それは殺人まではいかないにせよ社会的立場を奪い去ることを目的としたもので、実質的に暗殺に等しい。
民間人に対する暗殺と聞いて想起されるのは
FEMA=民間人に対する暗殺部隊の設置といわれているようです。
創設後の米国内外での不自然な事件の数々を見れば、自然に納得できます。日本においても似たような事件は起きています。
何しろ勝手にケムトレイルとかで不妊薬剤散布したりする国だから
何でもやると。プランを立てたら必ず実行するのが影の政府内にいるのでしょうか?
おかしなアイディアでも、そのまま実行してしまうのは、完全独裁であることを意味するのでしょうか ・「調別」(陸上自衛隊幕僚監部調査部調査第2課調査別室、日本版FEMAとされる)を知ってますか?
自衛隊の中に米軍に徴用された在日部隊があるとい話を聞いた事があるのですが、事実の可能性はありますか?
・同じか別か不明ですが、「調別」と言われるクーデター部隊について、聞いた事がある方はいますか?
在日米軍特殊工作部隊と関係、もしくは傘下の組織になりますか?
ロックフェラー報告に基づき創設されたFEMAと同様の部隊を日本にも創設すると米国の命令文書に記載され
パイナップルブリゲイズという組織が作られているとの事です。
たとえば世田谷一家惨殺事件とその組織に関連性はありますか?
この組織がネットからの情報収集をするのは確実でしょうが、それだけでなく、ネット工作活動等も行っているのですか?
もう一つ
(34年前の)NHK速報の
「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を 射殺」
NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。 続報が入り次第お伝えします」
この事件の1年後から何人もの航空自衛官が自殺に見せかけられて殺されている
この話の真偽について、情報お持ちの方はいますか?
【別班】自衛隊の秘密組織とその黒幕〜陸軍中野学校の系譜【日本の暗殺部隊】
https://www.youtube.com/watch?v=Nuv9e6ZsNCc 全日空機雫石衝突事故を知っていますか?
日航123便事件真相隠蔽の理由の一つとして、この事故も関係あるような気がしますが、どう思いますか?
ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ
は、1971年(昭和46年)7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、
双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。
1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。 123便の後を2機の自衛隊機が追尾していたことは、非常に多くの人々の証言から明らかで、
また自衛隊員からの不祥事に関する電話の件などから(さらには当時の首相が休暇中に緊急連絡を受け、
撃墜指示を出した会話が盗聴されていた話もかなり昔から流出していて)かなり早い段階で官邸サイドも連絡を受けていたと思われます。
いまだにもみ消しのようなレスが多く散見されるのは不思議で、また他質問では、不審な回答者までが
「事故調査報告書信者の政府の手下が、質問者や真面目な回答者を貶めるための工作をしている」旨の投稿をしていました。 光は粒子であると共に波でもある
というより、まず本質的には波動で、観測する事でたまたま1つの粒子として現れるだけで、
しかしそれは全ての物質についても、光より遅いだけで類似の性質を持つと捉えてみると、どうだろうかというような
全ては振動数というのは人間の精神生活や行動についてだけでなく、そもそも物質世界の根底に横たわる基本原理の一つ
少なくともラジオの受信では、周波数は最も重要な原理です。
生物学的ラジオという話もありました。
生物の場合は完全に機械のように設計されたシステムではないにせよ、
また専門外の人がDNAを設計図と理解して全てわかったような気になっているのを見ますが、それでは
その設計図をもとに機械を組み立てているのは誰? という話になり、
生物物理・生化学の問題も、まさにその「組み立てる主体者」についての問いなのです。
簡単に言えば、
極無自性心とは
仏の広大無辺な心を知って、ブッダ、母親にすべてを委ねる赤ちゃんのような純粋無垢な心
秘密荘厳心は
実の如くに全てを理解して、衆生を救う如来の大慈悲心 宇宙とは
「三界の頂点の一つの存在が一度に観ている夢」 ブッダの説いた無常・空・非我とは
中観よりもっと徹底した、実在性・存在の否定を示唆するような思想だったのではということでした。
スッタニパータを見てもわかるように、ブッダの視点は、生死の暗部から目を逸らさせる一般人への気兼ねさえ越えた面がある
もので、人間や世界を見る眼差しに何らの迷妄もまじえない
如実知見・無執着のあり方を説き示すものだったのではないでしょうか 六大無碍にして常に瑜伽なり 臨死体験者の木内鶴彦さんの話を聞いていたら、
「意識は空間」というフレーズが出ました。
それで思ったのですが、六大の識が虚空と相応するとでもいった意味での「識即是空」を説いた思想家や宗教家(仏教に限らず)はいますか?
ホログラフィック原理によると、宇宙の情報構造は二次元と見做せますが、意識が三次元軸を脳内変換で作っているという考えを述べる人も時折見られます。 釈迦はケーヴァッダに「識を越える時、色界も消えて欲界も消える」と説き
内側に外界があり、外界に内側など無いことを説いたといいます。
諸法無我の唯識的解釈ですが → 諸法の中に我は無く、「我の中心であるアーラヤ識が諸法を生んでいる」という解釈にもなり得ますか?
また諸法を生むアーラヤ意識とは、ヤージュニャヴァルキヤが「この世界はすべてアートマンにほかならない」と表現した梵我一如の状態(成仏した
からには法界体性智と呼ぶでしょうか)、ブッダの「唯一にして絶対のものアートマンすなわち真我」と同一と見て良いものでしょうか?
一切の諸法は一心の縁起によって顕現したものなり 釈迦の言う識を越える時の識は五蘊の識で大乗の阿頼耶識と同じものです。
なので識を越える時って言った時点で大乗の世界観越えており
大乗は五蘊の世界観しかありません。
その識(五蘊)を越えたところに梵と我があって
梵我一如っていってるので世界観が全く違います。
諸法を生む阿頼耶識とは五蘊の中の諸法を生むだけで
梵と我は生み出せません。
もっというと梵が阿頼耶識を生み出します。
大乗の言う無我は五蘊の中に梵も我もないので無我です。
小乗はこの我を悟ると阿羅漢と呼びます。
この文脈だと梵と我の合一したもの(梵我一如)をブッダは真我と呼んでいます。
ヤージュニャヴァルキヤのこの世界はすべてアートマンにほかならないは
真我よりももう一段階レベルの高いことを言ってます。
小乗の我もブッダの真我もヤージュニャヴァルキヤのアートマンも
全部アートマンと表現されることが多いのでごちゃ混ぜにすると
訳がわからなくなります。
サーンキヤの図が便利なので貼っておきます。
プルシャが我でプラクリティーが梵にあたります。
大・覚が大乗の阿頼耶識になりプラクリティーより下は五蘊です。
真我はこの図の上になるので出てきません。 スウェーデンボルグが幽体離脱時に
「宇宙は巨大な人で出来ている」ことを感得したと書かれていますが、
これは万有在神論的立場からの
西欧人による梵我一如体験と アートマンとアナートマンを超えた中道がブッダの説いた教え
ブッダは、真我は存在しないかという問いに
「有るとも言え、無いとも言える。無我を観じられないと、真我を感じられない」と答えたという
話もあります。
臨死体験者の木内鶴彦さんの言うように、実は心は一つで(九有情居の梵衆天・遍浄天等を往来してるのかもですけど)
各人の個体まで、(生存してる間)降りてきてるだけとも言える
海外の前世療法家が
「生まれる前は、創造主と一緒で幸せだったのに
騙されてボランティアをしに生まれてきて、不幸になった」と退行催眠下で語る人が増えている
という話がありました
五蘊無我相の修習から始めて完全無我認識(主客平等の境地)に達し、涅槃寂静を知解する
解脱と、他をもさとりに導く仏道は、ブラフマンの奥から続く心境に支えられた世界 アートマンの覚りとブラフマンの悟り … ブッダ・シャキャムニはアートマンを覚った
と言う人がいました。ではブラフマンは覚ってないといいたいのでしょうか?
ブラフマンの悟りって、そもそも何を意味するのでしょうか? あと
ブラフマン(梵)って梵天じゃなくて(梵天という説があるのは知ってますが)
大日如来ですよね? そうだとすると密教行者の即身成仏、加持祈祷の入我我入とかも
ブッダの教えの深さは禅定によって深く知ることができると感じていますが、
大乗仏教・如来蔵思想を正確に理解しようとした時に
どうしてもインド哲学との共通性に引っ掛かるのです。
zysさんが
実際には日本の仏教は「梵我一如」になっていると言われたように
大日如来ってバイローチャナをブラフマン化させて宇宙の真理にして
また圧倒的な実在性まで与えて、我々衆生もその一部と悟るのが修行道と言われるまでになったわけですよね。
またブッダの二百年くらい前の哲人でブッダに影響を与えたヤージュニャヴァルキヤという人は
「この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。しかし一方では、
アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。
したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であって、
アートマンは「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないこと」を説いたのです。
これはアートマンを確かめるべきで語るべきでない、と説いたブッダの説法とあまり距離が離れていないようにも 思えるのです。 アートマンとは単体認識できる対象でしたよ。
即ち即身成仏、解脱でした。 「この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。しかし一方では、
アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。
したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であって、
アートマンは「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないこと」 間違っているというよりまだその方は知らないようです。 >>82
オタク、ヤージュニャヴァルキヤを否定して
てめえが正しいとか言ってるんだよw 嘘は大きければ大きいほど人はそれを
より簡単に信じるとは
ヒトラーの言った言葉だそうですが、トンキン湾事件やアポロや911も全部
同じ「大きな嘘で群衆を操る作戦の実行」だったようですが、何故群衆というものは簡単に嘘を信じるのでしょうか?
アポロ計画の嘘 徹底検証 Part9
https://www.youtube.com/watch?v=xgxm2KKjGBY
Part10
https://www.youtube.com/watch?v=6lIM-BlSITg
Part13
https://www.youtube.com/watch?v=F0Lcsihhlss
最終回
https://www.youtube.com/watch?v=UPKjxzkzYV8&t=36s
オルドリンさんも、子供たちにまで嘘は吐けなかった?
アポロ11号のバズ・オルドリン氏が「私たちは月に行っていないのです」と言った時の映像
https://www.youtube.com/watch?v=fWl70qq_qX0
ある種の懺悔ですよ
月面着陸は嘘だったのです。月面着陸の全てはインチキです。
そして私は、それを撮影したのです。
いや、人類は月には行っていないんだよ
スタンリー・キューブリック
「何しろ、私たちは、そこ(月)に行かなかったのですから。
それが起きていたことなのです。
バズ・オルドリン 感情で信じてるだけなら
それはカルト信者や低級俗信と同じだよ 【衝撃】世田谷一家殺人事件の新たな事実が発覚か?平成最大の未解決事件の謎!
朝鮮人が絡んだがゆえに解決不能?
https://www.youtube.com/watch?v=4FpIaudCgSM >>88
実体験あって初めて堅く信じる円満大安心があらわれるんですよ。 馬渕睦夫×河添恵子 八重洲ブックセンタートークショー(日韓問題・香港デモ・ディープステート)
https://www.youtube.com/watch?v=JZqq4bczl1k 「父は警察庁と天下り先の業界団体の関係­を調査していた」
石井紘基議員は何故殺害されたのか 1
https://www.youtube.com/watch?v=7szpgjkAecs >>90
慈喜徳会の人?
幸福のサイエンスとか? 独覚者?
円満大安心て言葉初めて聞いた。
どこの用語? 日々是好日さん2019/9/1321:35:53
何が輪廻転生するかといえば、魂ということになろうかと思います。
ただ、おそらく魂の中心部たるアートマンについては、大宇宙大生命と一体化したものであり、輪廻転生をしないと言えるのではないかと思います。
なぜなら、おそらく、アートマンは輪廻を超越し、魂の輪廻の様子を照覧するものだからです。
このアートマンが真我、つまり、我々がハイヤーセルフと呼んだりしているところの、究極的な「我」なのではないかと思うのです
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12213500432 不純要素(非仏説混入度)は
北伝仏教が9割位、南伝でも7割程度と見る向きが多い感じがします。 大乗仏教は、自身の救いを顧みない。かれらは、自分自身の救いを想うよりは、同胞にして不断の苦悩の桎梏の中にある人々の救済をより
一層切望したのである。かれらは小乗教徒と同じ意味にでは、生と再生との輪廻を恐れなかった。
いや、もしそれがいささかでも同胞の精神的向上に資する
ならば、いかなる悩みも苦しみも、常にこれを受けようという覚悟をしていた。かれらは、悩める人類に対する慈愛からして、自身の功徳も、
いな自分の救いさえ、捨てたのである。
そこでこの無我的な犠牲の報酬として、かれらは超絶的真理を覆い隠しているヴェールを取り除き、
一切智を得ることができるのである
小乗仏教は修行僧が悟りを得て解脱するものであり
大乗仏教は悟りに衆生の救済を含める 質問趣旨に添わない投稿はもう結構です。
スマナサーラについては、諸方面ですでに論破されているようですし、ここで論ずる気すら起きません。商売上手な方のようですね。
sanとか変な回答者がここにも出没してましたが、
分別説部の成れの果ての哀れむべき妄執の徒であると観ぜられます。
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/124920897
waiに対して
混乱に陥ってる方々を一つ教化してあげます。
無我というのは漢訳時の過ちで
非我が正しい。
>テーラワーダのいう「慧」とは有為法の、つまり形成された
「慧」のことであって「仏の智慧」ではない
>「正しき智慧=仏の智慧=無為法」
つまり涅槃のことで真諦
自性清浄心は涅槃そのものであって、それが真我と思います。
それと同じですよ 身密 契印
口密 おんあびらうんけんばざらだとばん
意密 法界体性智 菩提心 大悲 方便 お釈迦さまはウパニシャッドを完全否定した訳じゃない
と思う 『バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると
考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る』
(サンユッタ・ニカーヤ) 脅し が真如苑霊感詐欺の本質なんでしょうね
そのうちタイホ者が出ると思いますよ
若い真如苑信者が無償労働中に
てめえの心がお空の黒雲を呼ぶという
妄想話を大勢の信者たちの前でしてたのを聞いた事があります。
はっきり言うと
これは、震災等に遭遇した幼児が、じぶんのせいで地震が起きたと
思うのと同レヴェルです。
そしてこの団体じたいが
てっぺんからそうした思考を身につけるように洗脳してきた。開祖からしてそう。
つまり元々正常だった人まで
精神異常の病を発症させる教えということ 人生でたまたま遭遇してきた情報によって、各人の価値観が形成されてきただけかもしれない
カルト宗教や上座部テーラワーダによって世界観が左右されるのも
それと同じ事では?
【苫米地英人】99.99%が勘違いしているお釈迦様の悟り。
https://www.youtube.com/watch?v=HoQBiPd3BOs 『戒定慧』の三学では、煩悩から離れる土台の上に道諦の実践をすすめ、一切のものに囚われない無執着の心境に至らしめる 人生でたまたま遭遇してきた経験や情報によって、
カルトに
はめられる
。。, ブッダの本当のオリジナル仏説のうち
往時の小乗を牛耳っていた分別説部などの不純な輩によりパージされ
大乗だけに残されている部分もある
んじゃないかな 様々に 思い込むのも 自由だが
それも結局 カルトの病状
そもそも下手な猿真似短歌平気で載せてたジジィは誰なんだよw 仏の身体のすがたをもって仏を見てはならない
仏像の物質的な形が仏と思って(その物自体を)見ては誤りなのである
いかなる相も虚妄であり
認識できるものは幻想であり(いかなる「個としての枠組み」も、思考分別が作り出した幻想で)
諸々の相は相に非ずと見るなら
認識できるものは真の実在ではないと見るなら
即ち如来を見ることになる
即ち空の智慧を生じて涅槃寂滅を知解する(宇宙一切万象の一体性をさとる)事となる カルトという病気も
アンチ=カルトという幻想も
全て空であり無実体。 何も実体が無い事を
こう思えと他人に強制するようではカルトの裏返しでしかない
(そうと気づかれないように、操作者に好都合な行動へと誘導するのが
カルト・マインドコントロール) 自分はカルトについて無知な状態だ(から好奇心があって魅力を感じる)とか、いうのは危険な状態で、
ポテンシャルエネルギーを高めないことも大事 中谷英明氏の説
・『スッタニパータ』の成立時期は三層に分かれる。
・第四章「八頌品」、第五章「到彼岸品」ならびに第一章における「犀角経」が最古層。
・八頌品と到彼岸品・犀角経とのあいだにも若干の相違あり、八頌品がブッダの在世当時、
到彼岸品・犀角経がブッダ逝去直後の編纂と推測される。
「洞窟八詩篇訳注 −八頌品(はちじゅぼん)の研究 −」
中谷英明(著) 『奥田聖応先生頌寿記念論集』, pp534-550 (2014)
http://classics.jp/HN/
ブッダの認識論、あるいはこころの可能性について ― 「闘諍篇」中核部(862-874)訳注 >カルトは故意にダブルバインド・パターンを作って疑似=統合失調症の状態を生じさせ、
信者をマインドコントロールする
ダブルバインド・セオリー(double bind theory)
1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された説である。家族内のコミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、
その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる、と指摘する説である。 >不倫どころじゃない。
堤は真如苑信者だったな
>コクドの社員を秘書にして、その女子社員を愛人にした堤義明
渡部絵美強姦話も有名だし
如炎信者の正体 誤った認識=悪意ある真如炎ウィルスを世間にばら撒くのはおかしいと警告を発してるのに誤魔化しはいけない
ある程度の期間 カルト団体の信者たちを観察していると
霊界とか、狂信者連が崇拝してる対象の正体は
何も実体は無く、信者の妄想の中にしか存在しない事がわかる。
連中の妄想世界に絡めとられマイコンの罠にかかってカルトに嵌まるなんてキモいよな 日本は呪われてる
真敵・職人気質が格差の根元である。
ヤンキー、過激思想、サイコパス等の成れの果てが職人・職人気質です
その職人・職人気質が新たなヤンキー、過激思想、サイコパス等の悪種を生み出すのです。
職人、職人気質が格差をつくり、イジメを生み、犯罪を生み、自殺を生み、戦争を生み、地域振興を阻害し、治安が悪化し国力が低下する。
職人・職人気質はブラック企業擁護論である。
職人気質を廃してこそ日本は平和かつ生産的かつクリエイティブな国家になれるのだ
職人気質は存在自体がパワハラです。緊急事態です。
職人気質は悪しき文化
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1573270987/755
euu 確かに職人的マインドコントローラいるよな
真如苑の霊能者のおヴぁさんが「鉄は熱いうちに打て」と喋ってたな
要するに、子供のうちに刷り込んでロボットにしろ、という誘導。
そういう洗脳に子供はやられ、成人者にはまた別の手もある どうやら納豆を買うお金もない真如苑信者さんも
おられるみたいですよ。
下の質問の回答を全部ご覧ください
>真如苑はどうやらニート、無職率高いですね。
本当に暇で精神もおかしくなっているのでしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12177198397 インチキカルトが影響され、巧妙に剽窃して利用しているキリスト教にすら
夫婦間でさえ性の営みは慎むべきだとする説教もあるし
子供まで「スケベは天国に行けないんだぞ」と言ったりする
それに較べパクリ如教の甘さはどうだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています