【イエス】 これはわたしの愛する子 Part97 【キリスト】
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わたしは、新しいいましめをあながたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 13:34
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
(ガラテヤ人への手紙 3:26)
メインライン(日本基督教団 日本基督教会、聖公会)
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1557958866/l50 神様はその時々に必要に応じて人を天使として用いられます。 病気だとして、庇うのならば、相手が自分の都合に合わなくなっても、
一貫して庇い続けなければ、おかしいではありませんか。
つまり、自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。 >>798
いさなさんだけでなく、まちこさんもまた、
シャロンさんの、いい加減さを見て、言った
ということですね。 >>801
(シャロンさんは、コータローさんのことを)
病気だとして、庇うのならば、
(ピッピさんのことも自分が批判されようが)
一貫して庇い続けなければ、おかしい。
つまり、(シャロンさんは)自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。 >>768 :シャロン ◆5FFwGGftRM :2019/06/25(火) 19:01:32.08 ID:4Y3WDll3
>まちこさん、ご存じの様に光太郎さんは病んでいるのです。
>>801
シャロンさんは、コータローさんのことを病気だとして庇ってますが、
もうひとつ、
>>770 :シャロン ◆5FFwGGftRM :2019/06/25(火) 19:13:02.09 ID:4Y3WDll3
>光太郎さんは誰をも攻撃しない。
>別の意味で神様の御心に適っています。
誰をも攻撃しない、とも言っていますね。
ピッピさんが自分(シャロン)を攻撃してきたから、病気でも除外、
となったんじゃないですか? >つまり、自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。
偽善というよりも、
病気であれば、どんなことをしても庇う、というルールではなくて、
自分を攻撃しない限り、という条件が付いていたのですよ。 >>802
私はまちこさんではないし、まちこさんもわたしではありません。
もちろん。
けれど、シャロンさんと(神学とかでなく)まちこさんのやり取りが
ながらく腑に落ちないところがあり、それが氷解し始めたのです。
まちこさんは、牧師的な立場の方ですから、
いつも、遠慮と言うのか、忍耐されてきたというのも見えてきました。
ここは、言っておかなければは、まちこさんも今回のようにあるのですが、
やはり、オブラートがあって、分かり難い、になってしまいます。
そして、他の人は知らない事を、実際に交流したまちこさん、
りんごさんは、知っている。
まあ、ここまでにしておきましょうか。 >>806
実際に交流したまちこさん、りんごさんは、(シャロンさんのことをよく)知っている。
その二人が二人とも、シャロンさんとトラブルになっているのですから、
シャロンさんがどんなにいい加減な人なのか、わかろうというもの
ということですよね。 >>792
私があなたに言いたいことは、いい加減な褒め言葉を辞めて、聖書の御言葉に沿った一貫した愛ある言葉で、ピッピさんやミルナさん、光太郎さんやデオさんを褒めて欲しいです。
これは、私がずうっと言いたかった言葉です。
以上この件は終わりです。
✝まやかしの証人は滅びる。
しかし、よく(神の声を)聞く者はいつまでも語る。
箴言21:23 >>805
はい、そうですが、病気の人を庇うというのは
少し別の要素もありますからね。 >>809
他人を裁く為に聖書を用いてはなりません。
多少オーバーでも人を鼓舞する為に褒める方が余程良い。
私はそう信じていますし、褒める言葉は神様から来るのです。
反して裁く言葉は全てサタンから来るのです。
まちこさんに神様の御心がなされますように、平安を祈ります。 夜遅く霧の立ち込める山中で突然目の前に現れた白いセダン。
ゆっくり走るテールランプの赤い光に誘導されて広い道路に脱出しました。
あれは神が与えられた天使だったと今も信じています。 >>814
あなたもそのようにして、みなさんを正しい道に導いてください。 6月初め、同窓会に出席するために故郷の街を尋ねました。
同じ日に近くにある母教会を○十年ぶりに尋ねました。
牧師は歓迎して下さいました。これは現教会から転籍を勧められての
必要に迫られてやむなく行ったのです。でも牧師はニコニコ笑顔で
帰って来るならいつでも受け入れますと。 また転出の事務手続も簡単
だからと。ただ問題はあなたの心がどうか、ですよ、と言われました。
教会には愛があります。愛とはこういうものだったかと今更ながら心に愛の
思いを抱きしめています。 伝道の書
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
アーメン 光太郎さんと普通の会話をしています。
光太郎さんを導こうと等とは思っていません。
早く会話が出来る様になればいいな、とそれだけ。
伝道は神様がされる事です。 このスレッドを閉鎖するわけには参りません。
光太郎さんがここを尋ねて下さる限り。 「ルサンチマン」
人間が恐れられる条件とは何だろうか?
「他人の心の定義が正確であること」(ルサンチマン)。
これだけである。
女性の基本はこの四曲だと思っていい。
女の子は、茶色とともに成長して、緑とともに真面目になり、
赤とともに男と向き合う。
三原色がそろって世界が明るくなると同時に、おちんちんがないことを悟り、明るい世界に、鬱な存在としていきなければならなくなる。
この「難しい年頃」を理解してくれる大人はいるのかしら。
男は賢い方がいい、女は美しい方がいい。
それならば「父と娘」はその条件を満たしてしまう。
しかし、お父さんにはお母さんがいたから、クラスメートの男子に助けを求めた。
https://youtu.be/-2JgPiIDqHQ
別れた男は「友達よりも遠い人」だった。
しかし、彼の「心の風景」が忘れられないことがある。
私のからだは他の女とどう違うのかしら?
大して顔もからだも変わらない。
彼が愛したのは「幻」というしかない。
少年のようにもっと素直なら。
https://youtu.be/ZwQs0_gcU9s
女は他の女と「顔とからだ」が大して変わらないため、
「なぜ彼が私とセックスしたがったのか」を自分なりに説明している。
男に比べて女は「問題の少ない愛」を知っている。
すべてを「過去形に変えてみたいだけ」
それは「幻を愛した」「少年のようにもっと素直なら」などの、「言葉の豊かさ」
と関わるものだ。
女の失恋は男ほど尾を引かないのだ。
https://youtu.be/-BNEBSLcQUA
雨の日は、男女ともに傘をさしたり雨に降られない場所に身を置いたり、
男が女と同調行動をとってくれる。
つまり、雨とは女の勝利だった。
でも、梅雨時ってどう思う?
女くさくて仕方がないわ。
神・男の完全性を議論すると爽快感がある。
梅雨の晴れ間の爽快感は男がくれるものね。
https://youtu.be/V1g-_MfEcQ4
ワーグナーの音楽作品にはもちろん「詩」が存在したが、ニーチェは「ワーグナーを激怒させながら」
哲学の腕を磨いた。
ルサンチマン(人間の心の定義の正確性)が他人を恐れさせる。
このスレの皆さんも誤解しあっているうちは、もちろん「誤解ではなくお金の問題」であっても、
他人の心は正確に語らないといけない。 >>820
おお、光太郎さん、
今夜もお元気で何より。
少し心配していましたよ^^
お騒がせしましたね。 ワーグナーのサウンドは純粋そのものだったし、詩も純粋だった。
しかし、純粋な音楽作品ほど「罪深い記憶」を歌っていた。
「人間、あまりにも人間的過ぎる」
これが、ルサンチマン(他人の心の定義の正確性)の正体である。
「どうやって女になったのか?」
これを「純粋な」サウンドで、正確に理解する必要がある。
「知らぬは男ばかりなり」
そう信じていたのに、あまりにも切ないサウンドでワーグナーは女の人生を歌った。
「女の人生を知ることが必要」である。
「いい女」は嘘をつかない。
男が、その女の考え方を解説する限りにおいては。
ワーグナーのサウンドは女たちをひきつけるのに十分すぎるほど切なかったし、
カントが「口説き文句」のために考えた言葉は、ニーチェにとっては「ルサンチマン」(他人の心の定義の正確性)
のために用いられた。
ニーチェは、「他人の心の定義の正確性」から、他人に恐れられた。
カントのように「女を口説く」のか、デカルトのように「恋の対象になる」のか、
それとも、ニーチェのように「ルサンチマンが恐れられるのか」の三つのパターンがあった。
ただ「純粋な音楽作品」を提供したかったワーグナーの逆鱗に触れたのがニーチェだった。
ニーチェは女たちと話すことを「アフォリズム」と呼んだ。
女たちが泣くこともあった。
ルサンチマンをアフォリズムによって、女の「涙」に変えた時に、「女の涙は千年の媚薬」
と呼ばれ、ニーチェ以降、千年王国の到来が高らかに謳いあげられた。
ニーチェが「権力への意思」を誕生させたのは、他人の心の定義の正確性と女たちとよく話したことによるものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=icgEbPjLvHk ここで、あえて「シャロンさんとは何者か?」について例を示したい。
法学部出身。
パートナーより背が高い。
子供がいる。
温泉が好き。
いつも太ももが痛い。
上半身をゆすっている。
男装をしている。 さらに補足。
ネットを一時期やめた時に太った。
戻ってきたら適正体重になった。 ばーさんたちのキャットファイトが見れるのは5chのキリスト教スレだけだよね?w おはようございます(^^)
サンアロハは、カレーが美味いお店。
https://i.imgur.com/oOsu2Rp.jpg >>807
人と人とがトラブルになるのは様々な要因がありますが、大雑把云うと
「思いがある」から、トラブルとなります。
その思いを乱暴に善意と悪意とに分けると
1.りんごさんとうしお君は、シャロンさんに悪意があり
シャロンさんを否定しようとするからトラブルとなります。
2.今回のまちこさんとシャロンさんは善意ゆえのトラブルです
自分の信条からくる確信から相手の為によかれと思って発言されたのですが
その信条がそもそも共有されてないために相手にとっては迷惑となつたわけです。
それで私は今まちこさんに迷惑とは何か、聖書に基づき実地してあげています。 おはようございます。
光太郎さん
いつもご講義だけでは無くレスはちゃんと読んで下さっているのが分かり
とても喜んでいます^^
>>824
法学部出身。 ○ミッション系○文科出身
パートナーより背が高い。 ○ 低いよ
子供がいる。 ○
温泉が好き。 ○
いつも太ももが痛い。 X
上半身をゆすっている。 X
男装をしている。 Xスカート&ワンピ
^^)
ってかこれ光太郎さんの事ね^^ >>827
ばーさんじゃ無いです。
奥様と呼びなさい、みんなそう呼びますよ。 >>828
次回横浜に行った時に是非行って見たいな^^ フェミニズム第一の波(ブルジョアと結婚したい)のときはまだルサンチマンの真の意図は
知られておらず、ニーチェは「あいつも誤解している」と語っていたが、
フェミニズム第二の波(私たちも仕事がしたい)の時に、女性の社会進出が進み、
ルサンチマン(女心の正確な定義をすること)が、男にとっても職場で恐れられる
秘密であったことが明らかになった。
パートナーに寝ている間に暴行されたことがあるため夜眠れないことや、
家庭に縛り付けられ、夫が子育てにも無関心であること(搾取)、
朝、起きたら二時間でとった行動で自分のフェティシズムが分かること、
など、本来、デカルトが「恋する条件」に女心に詳しいことを挙げていて、
カントが「女を口説く」方法として考えた言葉を、「女心の定義」(政治)に用いたのがニーチェだった。
ニーチェは「ルサンチマン」(女心の正確な定義)を「アフォリズム」(女たちと話し合う)によって、
女が涙(千年の媚薬)を流したことがあることから、権力への意思というものを思い知った。
ニーチェによって「政治」は誕生したのであり、また、「文学」も誕生した。
「イエスと言えば”たぶん”、たぶんと言えば”ノー”、これが外交官であり、マルかバツか
というのは外交官ではない」
https://www.youtube.com/watch?v=bI8Tc8YUwNc マルクスは「思春期の女心」を女性たちに語って、しかも、それをいかに「精緻化」
するかを考えた。
「十代で人生は決まる」「今となっては”そういう夢を見た”というお話」を狙ったのだ。
音楽作品ならば山ほどあった。
ようするに、寝る前に「バイブル」を読むとよく眠れた。
「女になれた喜び」をネットで語る人もいれば、ゲイやレズビアンなどの性倒錯もいた。
「抑圧」を受けているから、一日中ネットをやっている人が多く、胸を大きく開けた
服を着ていたり、男ならパンツ一丁という人もいた。
夜、よく眠るためにネットをやっていたのであり、それはつまり自由恋愛をも意味した。
なかなか異性が「釣れ」なかったときは夜中までネットをやった。
「私の心を教えて?夜、よく眠れないの」
それだけが女の目的であり、抑圧というものであった。 十代の頃の恋愛論のことを「パラダイム」と呼び、それを知ることは「マルクス主義者である条件」
であるとされた。
女性たちは「今となっては夢のよう」な経験談であり、それに詳しいマルクス主義者に
シンパシーを感じた。
ニーチェの言う「ルサンチマン」(女心の正確な定義)を「十代の頃の記憶」に限定
したのがマルクスであり、音楽作品は常に「若者の世界」を歌った。 1970年代に、昭和天皇が書いた「源氏物語」が、自由民主党だけではなく
若者にまで広く知られるようになった。
この時に「新左翼」(自由民主等の犬)は生まれた。
三島由紀夫は、新左翼に「天皇とさえいってくれれば君たちとも組める」と言って
源氏物語の境地を「生涯の憧れ」としていた。 人生に「抑圧」がなければそもそもネットなどやらない。
さらに、作家すらやらないだろう。
「創作意欲」というものはここから来るし、組織のリーダーが受ける抑圧は
「常務会」に由来するものだ。
常務会のない「ああ無常」という世界ではなんら創作意欲は湧かないのだ。
天皇がなぜ「源氏物語」を書くことが出来るのか?
自由民主党および新左翼に影響を与えることが出来るのか。
それは「日本丸」という巨大組織の頂点に立ってみなければ分からないだろう。 作家としての「生命の連続性」がなければ、昨日来た人に「天皇」も「首相」も
務まらない。
この作家としての才能に抑圧を与えてやれと言って「日本丸の舵取り」を委ねるのだ。
つまり、文学という名の「通達」を出させると言う意味である。 三島由紀夫は「金閣寺」を書いた時に、天皇は金閣寺、しかし、その影にある銀閣寺こそが
美しいとし、自衛隊(銀閣寺)の支持を得るために市ヶ谷に向かった。
自らが天皇に即位するのが目的だった。
強烈な「常務会」の存在を持ったり、ルサンチマン(女心の正確な定義)を身につけるため、
そして、アフォリズム(女たちと話をする)の環境に恵まれたかったのだろう。 「訴訟」
訴訟の背景には、「他者への憧れ」がある。
憧れの人の真似をすることを「モンキーシー・モンキードゥ」というが、
それを「請求し、確認し、形成する」という「請求」「確認」「形成」という三つの「訴訟」がある。
女子高生の支持が根強かったために芸能人生命を長らえたアーティストは多い。
すべて、みんなが自分のまねをすればいいのにという「請求」「確認」「形成」を踏まえたものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=jTJa5K-K9PI
「分かりやすい」「モテる」
これが、訴訟の背景にあり、人間活動は常に「訴訟」である。
本当の「裁判沙汰」になるのは「私の真似をしなさい」という「請求」「確認」「形成」が
失敗した時である。
人間は「賢く」なりたがっている。
なにしろ、電車やバスの中で泡を吹いて倒れたくないからだ。
このことが訴訟の背景にあり、「モンキーシー、モンキードゥ」こそが、暮らしを
快適にするのだ。
行政法においては、「アイドルの人気」を背景に下される「処分」を争う「抗告訴訟」
が知られており、アイドルの人気を批判する訴訟として知られている。
また、アイドルの人気を基盤にしていないとする(処分性がない)のならば、
形式的当事者訴訟を用いて、「あなたはアイドルの物真似をしていたのか?」
を職権証拠調べまで用いて判断することもある。
土地区画整理事業の「青写真論」というのがあるが、行政官の「処分性」が
安室奈美恵以降、認められるようになり、抗告訴訟が起こせるようになった。
しかし、これを「荷が重い」と判断し、形式的に「当事者訴訟」にしようという動きもあった。
アイドルの影響力を背景にしていたのは同じであるが、「影響力を持ちたのか」(抗告訴訟)、
「物真似をしたのか」(当事者訴訟)の違いが学説に生じた。
判例は、抗告訴訟に含めるようになっている。
偶像崇拝がなければ、そもそも、訴訟というものは生まれなかった。
真似をされると右腕の力が落ち、字が汚くなり、パーキンソン病の恐れがあるとも言われる。
大事なことは「マンガのように分かりやすい」ことであった。 民事訴訟の世界では「男女の出会いの場を増やす」「性病の治療をする」「子供に職を与える」
などの世界で「私がモデル」であることを求めて訴訟というものは行われるが、
行政法は「偶像崇拝」の世界である。
民間人同士で真似をしあうことを「民事」と呼び、偶像崇拝を背景にしたものを「行政訴訟」
と呼ぶのだ。
アイドルの真似をさせることを「行政訴訟」と呼び、姉妹や自分についてきた女を東大生が
利用する「処分」と「抗告訴訟」や、抗告訴訟は負担が重いとし「真似をしていたかどうか」
を判断する当事者訴訟などは、すべて偶像崇拝を背景にしているのだ。
芸能界との深い関わりが行政官には存在し、そうでないのならば、民間人同士の
民事訴訟の世界を生きることになる。
「読モ」というのは民事訴訟の世界だと思われる。
https://www.youtube.com/watch?v=-7YJkt-4R1A&t=208s プロスポーツ選手が用いる「技術」はつねに「真似をする対象」とされ、行政訴訟である。
アイドルの影響力を用いた「処分」でも、物真似をしたかどうかを判断する方向に誘導する
形式的当事者訴訟でもなく、プロスポーツ選手の物真似をしたかどうかは「実質的当事者訴訟」
である。
オンエアされるかどうかで「行政訴訟」と「民事訴訟」は区別され、いまだに地上波の
影響力はもっとも強い。
訴訟(他人の物真似)は、みんなを賢くさせるためにあるものだ。
女子高生でも「セブンティーン」「ポップティーン」「ランズキ」などを読んでいる。 なんか、まちこがらみでややこしいのかな?
ネタはない。
阿弥陀仏の空間的光明について・・・探求中なのじゃ・・・・。 ノーマン・マルコム(マルコムX・1968年)が黒人に与えた影響は強かったし、
チャールズ・テイラーなども「映像の世紀」を存分に活用した(1964年)。
真似をするだけで目的が達成できることが必要であったし、
その業界は「物真似」「影響力」で作られていた。
みんなが賢くなるのが「訴訟」の目的であり、「裁判沙汰」とは異なる学問なのである。
特に、女性やマイノリティを「賢くさせる」政策を、アファーマティブアクションと呼ぶ。 部落民をどのようにしたら「テレビを見ただけで、賢くさせる」ことができるのだろうか?
「母ちゃんが男を作った」
このような子供をどのように賢く出来るのかは非常に難しい。
アファーマティブアクションというのは非常に難しい学問なのだ。
2003年や2016年にアメリカ連邦最高裁が問題にしているが、
つい3年前にも「難しい問題」として議論されていた。 >>844
デオ君久しぶりです。
もう来ないかも、と思っていました。
まちこさんといさなさん、そして名無しの攻撃が悲しくて悲しくてTT
彼女たちは他人の痛みなど知った事じゃない。自分の正しさを主張できれば
それで良いのです、過去のスレから引っ張り出して何度も貼り付けてスレを
汚します。邪悪だとか嘘つきとか捏造とか、ありとあらゆる罵詈雑言。
まちこさんは悪口は言いません(キリっ、と言い放ちますが私の悪口だけはしっかりと。
私はそんな悪人ではありません、偽預言者でもありません。普通の家庭婦人です。
何故あの様にしっかり他人を傷つけておいて何もなかったように笑ってられるのか、いくら
クリスチャンと言えど限度があります。本当に悲しくて悲しくてTT
糖質さんを褒めて鼓舞したら褒め方が悪いと。
糖質(光太郎)さんが御言葉を使わないのにおかしいと。一方的に。そこに
いさなさんが応援に駆けつける。名無しさんも加わり過去スレを貼り付けてまるで
魔女裁判よ。
反論すれば待ってましたとばかりにトラブルメーカーだと。
距離を置こうとしてもダメなんです、必ず攻撃はまちこさんといさなさんから。 もう
早く神様が助けを、公平な裁きを、と夜も寝ずに・・・ >>848
キリスト教布教作戦はとりあえず終了したので、ネタ減り気味なのです・・・・・・。
布教対象者は、その人が行っている教会で優れた人とイエス様におまかせなので・・・・・・。
阿弥陀仏の謎の探求にはまりまして・・・・・。
浄土宗とお坊様と話をしてきた笑。道端で・・・・・・・・。 >>848
ま、天上の霊的な主の世界と、
イエスとの深い関係が、悩み困難の解決に至ると・・・・。
布教対象者に言ったなあ・・・・・・・・。
あ、これ、ネタやな。
ま阿弥陀仏の謎にはまり過ぎて出てこなかった笑。 >>850
単純に
「神様助けて!」
が今の私の願い(笑) >>852
イエスのキャラクターとの深い関係、さらに深い関係。
真理であり命である。 >>853
ええ、十字架の傷ついたイエス様が私の姿。人に捨てられ拒否された
イエス様の惨めなお姿が私の姿。このイエス様の前では思いっきり泣く事が
出来ますねTT
イエス様は私の些細な欠点や失敗をあげつろい責めるお方では無いですものね。
もう大丈夫だから、来てくれてありがとう、デオ君 読モのように、アイドルや芸能人といった「行政訴訟」ではなく、民事訴訟における
「選定当事者」にとどまるものもあるし、
訴訟進行で足並みを揃える、訴訟資料で足並みを揃える、つまり、「みんなでオンエアを見る」
という具合に、固有必要的共同訴訟として行政訴訟を、民事の側で問題にするものもある。
また、証拠資料では足並みが揃えられても、訴訟資料では「担当」の問題でもめて
足並みがそろわない通常共同訴訟もある。
まあ、民事訴訟なんてものはジャニオタに聞くべき問題だ。 1965年にジョンソン大統領が「執行命令11246」によって、アファーマティブアクションン
つまり、「母ちゃんに男が出来た」などという同和の子供たちをいかに賢くさせるかを
明確にするように命令を出している。
最終目標は「就職」にあった。
1972年には「博士号を取る人数」を見ることにした。
ジャービス・トンプソンは「足長おじさん」などを考えた。
人種差別はアメリカ合衆国におけるきわめて難しい問題だった。
ジャービス・トンプソンは「つづけることにお金を払えばいいのではないか?」とした。
彼ら(彼女ら)には、固有必要的共同訴訟つまり、同じ番組を見る(訴訟進行で足並みをそろえ、
訴訟資料で足並みを揃える)ことを経験しながら、通常共同訴訟、つまり「担当」の問題で
喧嘩する(訴訟資料で足並みがそろわない)などの必要性があり、
インターネット上では常に通常共同訴訟であり、オンエアにおいてのみ固有必要的共同訴訟
であった。
「つづけることにお金を払う」つまり、根強いファンというものがそれぞれ「自分を賢く」
させており、就職が保障された。
行政(芸能界)と民事(市民)の関係は密接に結びついていたのだ。
立法とは、選挙の時に市民にお金を流す役割を果たしていたし、行政は芸能界との
関係を示していたし、司法というのは「恋愛論」「パラダイム」を握っていた。
芸能界は、市民にお金を流す必要があったし、恋愛論を語らなければ存続は出来なかった。 立法は、選挙のたびに「ファンを続けなさい」と言って市民にお金をばら撒いたし、
司法は、恋愛論を行政に提供した。
三権分立とはこのようなものであり、芸能界を中心とした「行政」さらには、
行政法と民事訴訟法から成り立っていた。
同和対策事業もこのような「政府のマシーン」に精通していなければ行えないし、
医学博士にでもならないとその力量は身につかないだろう。 一方で、司法は、民事のみならず刑事(なぜモテないのか?)を議論するものでもある。
いわば「査問」であり、「論告」(なぜ優しくなれないのか)を「弁論」によって検討・評価
する世界である。
いずれにせよ、芸能界(行政)とはこのような理論資源とお金の分配機能を
もっており、いるいろな組織が三権分立を持っているのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=74hYKsshq28 ヘブル人への手紙 12:1
こういうわけで、
わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、
耐え忍んで走りぬこうではないか。 (ヘブル 12:1 ) 「からみつく罪」
今の気持ちを何と表現すればいいのか、「からみつく罪」
サタンです。サタンよ。
神様サタンから私をお守りください、主イエス様のみ名によって。 そもそも、ルイ16世とカントが作った「ゲルマン法・大陸法」の世界があり、
このような世界が構築されたが、
イギリスとアメリカは、イエスキリストと憲法によって「ローマ法・英米法」の世界を作った。 私は既に神の子。
サタン、退け!! 主イエスのみ名によって!! 私は祈られています。
だから護られているのです。
大丈夫、何もない。 大体サタンの側につく人たちと話が合うはずはないのです。 >>867
違います。
私はサタンに組しません。
主イエス様のみが私の主です。
私は二人に主人に兼ね仕えません。
神とサタンに何の係わりがありますか? >>868
イエス様は、罵られても罵り返しません。
これが神の子です。 罵り返す者は、神に守られません。
相手の祝福だけを祈る者が神の子です。
ここを通って来て、初めて神から祝福されます。
私は、シャロンさんを祝福します。 また、行政訴訟には、「世界にひとつだけの花」購入運動やビラまきなどの「民衆訴訟」
もあれば、セクトごとの役割分担を争う「機関訴訟」もある。
機関訴訟を経た上で「世界にひとつだけの花」という選曲がなされたものと思われる。 なにしろ「フェティシズム」の世界の争いが「行政」であるため、
スリーボールツーストライク(三審制・破棄差し戻しを含む)はビルトインしておかなければならないし、
日本では「球審の判定」にまで「リクエスト」を持ち込もうという「再審」というものもある。
もっとも、再審というのは「開かずの門」とされている。
フェティシズムの世界なんだよ。 精神科医になって、わたしの文章を読めば、「法律学のすべて」が体感できるため、
メディカルスクールとロースクールは「学ぶことは同じ」という側面が指摘され、
メディカルスクールは部落民の入学を拒否してしまった。
同和対策事業をやるのはロースクールであるという意味では「法学部と医学部は同格」
とされている。
心を病んでしまえば「弁護士に相談しても医者に相談しても同じ」ということが言える。
つまり、「牧師に相談しても同じ」ということなのだ。 「大人たちの権威がいやでも、自分たちでルールを作る」若者に、法律学は
介入したし、そのアファーマティブアクションの世界でも勝てないのならば、
「諦めてもらうしかない」とビル・クリントンは1995年に語っている。 この法律学は、テレビやステレオ、イヤホンを聴きながら、いろんな仕組みが勉強できる
環境を作り出すというメリットがある。
インターネットや現実社会でいろんな人から尊敬されるのが気持ちいいという人もいるし、
「社会に出る準備である」という人もいる。
立法・司法・行政が分からなかった時代は確実にあったし、訴訟というのが
他人に自分の真似をさせることである、ということも分からなかった。
それでも、「世界に一つだけの花」を買おうという運動は起きるし、
その組織運営の能力は賞賛に値する。
ファンの組織内部で何があったのかは、行政法や民事訴訟法を学ばなければ
明らかにはならないだろう。
しかし、いろんな「担当」が機関訴訟をやった結果、妥協点として選ばれた曲であった。
https://www.youtube.com/watch?v=qZq-q75KeMw また、自分の「担当」を決めるためには、DVDを「81時間」観なければならない
とされている。
音楽作品でもそうであるが、その世界で「予言」が出来るようになるためには
これだけの時間が必要となる。
また、目の前で握手した時の感激も「担当」にしか分からないとされる。
二次元と三次元の「適度なキャッチボール」が必要であるとされ、
たまには、実物を見たほうがいいとされる。
そもそも、AKBグループや坂道シリーズを「81時間」観た、というのも驚きである。 >>829
ありがとう、重ねて感謝致します。
しかしあなたにはあの方たちには勝てません。
相手はバアル信仰者達です。
でも私は既に勝っています。
見抜いているからです。
そして私に平安があります。 しかし、法律学を肌で感じる才能とはそのようなものを基盤にしている。 >>880
光太郎先生、こんばんは
あなたはいつでも安定していますね^^
大木のようです。 >>879
勝つ必要ないやん
イエスと自分を大切にしたら、他の事は価値がない。つまり勝つ必要無い >>882
まあ、人間がネットをやる理由は「抑圧を受けているから」という側面がある。
男はともかく、女性の場合は「どのような抑圧なのか?」という議論で団結する
可能性がある。
「女性の抑圧」というのは、文学の世界でありまして、語り終えたら山歩きをすると
爽快感があるね。 >>882
サタンに負ければ滅びです。
イエス様は何故サタンに勝利されたの? >>884
誰がサタンなの?
サタンは、そんなに分かりやすい存在じゃ無いよ >>883
そんなものに負けるなら信仰やってる意味がない >>887
抑圧=サタンだとすると、巨大組織内部の「常務会」が、組織のトップの悪口を
言って団結しているね。
シッダールタはそのために「世論の支持が必要」として出家している。
男の場合は組織の頂点になるためには「芸能人」(行政)、「恋愛論」(司法)、「お金」(立法)
などを修めなければならない。
しかし、女性の間では「家庭内での抑圧」だけでもけっこう深い学問でね。
「孤立してはならない」ということを基本にしている。
シャロンさんは、仲間のためにも「勝たなければ」ならないのだろう。 >>887
サタンはキリストの姿形をして私達を騙します。
サタンの声に騙されて聞いてしまうと滅びです。
でもあなたはきっと私の言葉を信じないでしょうね。
単純な優等生だから。
こんなスレに来ないで別スレで優等生して遊んでなさい(笑)
私は命がけだから。 >>888
勝つよ。それはネットの他者じゃ無い。己にな >>889
命かけてんなら、たかが知れてる
永遠の命をかけて今を生きるべきやな。
それと聖書を読みなさい。トミーのプログ以前に なるみさんが言うように「命の書」にその名が記されている者なら
私の言葉が理解できます^^ >>892
君はマタイ24も読んでなかったね。じしんと戦争のうわさだよ >>891
その様に相手を貶める言葉がサタンの声。 政治コミュニティーに「敵のいない人」はいません。
人物相関図は「敵対」「友好」「一般」「中立」「関係の定義が必要な人」
の五つです。
いかに「敵対」的な人と関係を定義して、それ以外の人に中立を維持してもらうかが
大事です。 りんごとまちこのことばが嘘か真かに興味は無い
ただ君のレスが御心に叶ってるか?
心を落ち着けて。勝ち負けなんて考えないで
僕は敵じゃ無い。自分で考えておかしいレスにはレス返すだけ。
ただ楽しいだけのスレじゃ無いからね >>891
母教会の牧師&現教会の牧師、それに冨井先生に祈られているので
私にはサタンは手を付けられません^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています