専制主義的に作ったゲルマン法は、ルイ16世やカントによるものであったが、
イエスキリストと憲法にその根拠を見出したのがローマ法である。
大陸法と英米法は、ゲルマン法とローマ法の対立であり、
専制君主と、イエスキリスト・憲法の対立だった。
当然、大陸法にも憲法というのはあるが、憲法マネーという発想がなく、
なかなか「選挙の日に外食する」という英米法的な発想は身につかなかった。
日本の「押し付け憲法」というのもそのような側面が見られる。
「憲法は法律を作るためのマネーの柱」という発想は英米法特有のものだ。
「胸」「セックス」「女」
これらをイエスキリストは巧みに用いた。
ドイツでは「結婚」という言葉が、「風俗営業支持・性病の治療支持」を背景に
人気を集めた。
ルイ16世にとって「想定外だったのはカントだけ」とされており、
「結婚」という言葉と「ファミリーと水」という言葉がどのように関わっているかは
「想定内」「想定外」の議論となる余地はあるだろう。
日本でも「結婚は憧れ」とされているが、ルイ16世の想定外であり、
「ファミリーと水」と、「結婚」の関係も、「男女の出会いの場を作る」「王室サロン」
とどのような関係にあるかは「ルイ16世のアンシャンレジーム」「天皇制支持」
の立場から、おのずと、ルイ16世とカントという二名の王の顔を立てながら
詰めていかなければならないだろう。