市民としては、毎日事務的に処理される「クラスメート」(法規裁量)よりは「従兄弟」(便宜裁量)
の対象になりたいと考え、役人や医者に「親戚のように」扱われたいと考えるだろう。
ジョージ・プレハーノフがこの区別を行ったとされる。
事務的に処理される他人よりも親戚のような関係でありたい(法規裁量から便宜裁量へ)
というのはどの市民や患者も考えることである。
便宜裁量になってしまえばもはや「警察」(比例原則)は立ち入ることはないからである。
よく知らない関係(クラスメート)、それでいて日常的に接するという法規裁量と、
よく知っている(従姉妹)、それでいて季節ものの便宜裁量という議論の「感覚」は
磨いておく必要がある。
また、やたら頭のいい男(裁量権ゼロ収縮論)ならば、あっという間に相手の懐に
入ることができることも知っておく必要がある。
相手の懐に入ろうとして(裁量権ゼロ収縮論)失敗すると、便宜裁量の世界においては
「警察呼ぶぞ!」(比例原則)ということになる。
https://www.youtube.com/watch?v=FUx4cmSXEyo

みんな、医者や役人、あるいは女の子とは「親戚」のような関係でありたいため、
やたら頭のいいふりをして接するが、まちがえると「警察呼ぶぞ!」ということになる。
この議論の感覚は知っておかなければならない。