己の生命を以ていくら生命を思考しても、思考主体と客体とが同一だから、
その正しさの担保は「皆無」。思考は初めから成立せず、思考自体がナンセンス。

生命は、人間が対象化できない、従って、神と呼ぶにふさわしい唯一の存在。
キリスト教が対象化しまくる神は、生命の機能としての空想の結果であり、
神でも何でもない。単なるjokeである。

旧約はいみじくも、生命を「神の息吹」即ち「聖霊」としたが、その聖霊を捏造
冒涜し続けているのが、イエスであり、クリスチャンである。「聖霊を冒涜する
者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」。イエスこそ人類最大最悪の
犯罪者。彼は、その巨大な罪により、己の言葉通り十字架で裁かれた。