神父や牧師は、神を信じましょうと言い、その直後に
主を信じましょうと言い、さらにはイエス様を信じましょうと追加する。
 
それを聞いてる者は、いったい誰を信じたらいいかわからなくなる。
神は主であり、主はイエスだから、
要するにイエスを信じましょうということになるのだろう。
 
しかし、神が十字架で処刑されたイエスだという話には抵抗がある。
そう言うと、神父や牧師は三位一体だと反論するだろう。
神=イエス=聖霊だと聖書を根拠にして決して譲らない。
聖書は人間が書いたものだと言っても理解できない。
 
神父や牧師はそれが真実であるかどうかはどうでもいいのであり、
信じたいから →  信じているだけなのだろう。