612 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:19:48.50 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

だから随眠という言葉は煩悩の代名詞です 。
煩悩というものは 常に意識下にあるものでもないが、 油断していると出てしまうものなのです。
それを随眠という名で警告しているのです。
ちなみに自分の中の赤の他人が自分の表面意識とは関係なしにおかしな選択行動をしてしまうなんて話ではありません。
随眠という煩悩に対処するには常に意識しているということが大切なのです。 油断をしないということです。
眠っている煩悩、随眠が表面に現れたことを纏といいます。
纏もまた煩悩の代名詞です。
ならば随眠が纏となって現れ出た時を見逃さずにこれを意識的努力で抑止するということが大切なわけです。
自分の中の赤の他人だの、 わかっちゃいるけどやめられないなんて言い訳は許されないのです。
わかっちゃいるけどやめられないのではなく、わかってないのです。
わかろうとしたくないだけです。甘ったれてるだけです。
生まれる前の無意識って何ですか? そんなわけのわからないものは説かない。
そうではなくちゃんと自分の中で分かるものしか釈尊は説かないのです。
寝ている間に見る夢はどうか という質問が スマナサーラさんに寄せられたことがあります。
スマナサーラ老師はこう答えました。 夢を見ている最中が その人にとっては(表面)意識なのだ。
だったらそこにおいてそれを注意するのだと。
これが寝ている間も自己観察を怠らないということです。
つまり無意識の意識なんてものは考えずに常に自分が今面している意識のみをに注意を払うのです。