>>428
よくわからんけど、これまで以上に高い理想を持てばよろしいのでは?
理想の高いパリサイ派の人間が真理に気づくのは、自らに課した役割のために、自らの不義と、無理に気づいたからかもしれません。
その無理をどうしても打ち破りたいと思って、自らの実績の全てを放棄する。

薄々は気づいていた無理を、どうしても壊せないから、何かを探し始める。

本当は仏教のエピソードで話したかったんです。
苦行をして、苦しみと死の中で自らの救いを望んだ者はそのまま変わらず、
しかしながら苦行によって、全ての者の全てを望んだ仏は気づきを得て新たな救いを見つけた。

人はあまりにも高い理想を持つと、自らの無理を知り、探求者となる。
迷える子羊になるならば、神の更なる姿を知ることになるのでは?