「あいだ」はおかしいが「ただなか」ならば、正しいのでは?
と思うかもだが、岩波委員会の訳注は言う p267二

「あなたたちの只中」という部分は解釈が困難。まず、「あなたたちの心の内部に」
という意味ではおそらくない。「只中」を新共同訳などのように「あなたたちの間」
すなわちあなたたちま間にいるイエス(とその宣教、治癒活動)のように解する見方も
あろう。しかしこれなら一定程度「窺い」かつ観察することが可能であろう。さらに
は、原語entosの用法から「あなたたちの手の届く範囲に」と解する見方もあるが
この表現だけでは具象的な意味は浮かびにくい。本訳では「あなたがたの現実の
ど真ん中に」と解した。一つ一つの現実が神の王国の活ける「譬」そのものである。
という主旨。それは心の眼を開かぬ限り、客観的に「観察」してわかるものではない。

只中とはこのように「心の内側」であるということではなくて
「あなたがたの現実のど真ん中」という意味であり
だから素直な「なか」に余計な「ただ」を補い意味を変化させる改竄テクなのだ

神学者とかように解釈を優先して、原語を改竄させる嘘つきなのであり
河童一族なのである