「自我を乱す」とマンガ没収も……


――寮生活について教えてください。
寮はどのような感じだったのでしょうか?

A 寮は、高校2年生までは2人1部屋で、高校3年生だけ1人1部屋を与えられました。
テレビや冷蔵庫を個人的に置くのも禁止で、寮内のリビングにある共用のテレビや冷蔵庫を使用していました。
寮の中では、中学1年生から高校3年生までの縦割りで数人のチームに分かれ、各チームに1人ずつ、ハウスペアレントがついているんです。
ハウスペアレントは、郵便物を管理してくれたり、家から振り込まれるお小遣いを月に1回渡してくれたり、門限を管理したりしていましたね。

――門限は何時でしたか?

A 当時は、平日が午後7時くらい、週末は午後8時か9時くらいだったと記憶しています。
平日は、7時半までに夕飯を済ませて、そのあと夜のお祈りをして、8時からが自由時間なのですが、入り口のカギは門限の時間に自動でロックされちゃうし、部活が終わって寮に戻ると6時半くらいになってしまうので、平日はどこへも行けません。
校舎と寮は一続きになっていて、窓を開けない限り外の空気を吸うことすらできないんですよ。

――週末はどのように過ごしていたのでしょうか?

A 週末の過ごし方は自由なので、シャトルバスで那須塩原駅まで出て、そこから電車で宇都宮などに移動してショッピングすることが多かったです。
シャトルバスは、最初、那須塩原駅までしかなかったのですが、最終的には黒磯方面、福島方面にも走るようになったので、いろいろなところへ出かけられるようになりました。
ただ、1時間に1本程度しかなく、ハウスペアレントとバス会社の連携がうまくいかないと、間違った時間にバスが来ることも。
また、バスで外出すると丸1日潰れてしまうので、土日のどちらかは部屋でゆっくり過ごすことが多かったですね。
週末を利用して実家に帰る子もいましたが、帰省以外での外泊は暗黙の了解で禁止だったので、帰省組以外はみんな門限までには帰ってきていました。