ユダヤ人にしてみれば、艱難すぎる。
そのタイミングでイエスが登場した、
イエスは、自分が処刑されることだけでなく、
全部みえていたし、その地に生まれて生活しているのですから、
状況把握もできていたはずです。

国破れて山河在り、なんてもんじゃない。
いつも国も山河もなくなるを繰り返してきた人々に
最終段階、神とやり取りしながら結束をどうにかしてきた
人々に何が残せるか。

肉ではなく、霊だ、これを伝えて最後を迎えようと、
あらゆる肉の縛りを、抑圧も解放して
国、土地、に変わる 国境がない「愛」を伝えて
去られた。

まさに、イエスは神業です。

良い世の中、なんて愛がないんだろうと嘆かれたイエスですから、
私たちは愛がある世を、戦争をしない、自然災害も福島のように
復興できなくなるような、人災(原発)がらみが平気になっていけない。

私たちは、神ではないけれど、
神に愛され、ひとりひとりは個性的で、手さえつなげば、
世を明るく、愛に満ちるようにつくりあげる智慧もさずてけている。
「がんばれ」とイエス様は応援してくださっています。

携挙は、自分さえ良ければでなく、理想に向かう為の
叱られがはいった謙虚に愛を持ての応援歌だと、
善い方に解釈すれば元気がでますよね。