0229いさな
2018/12/06(木) 00:15:18.28ID:2ry+fAzF>菜園人2018/12/05(水) 19:14:59.60ID:iSyd7cLD
>第二テサロニケを疑似パウロ書簡としているのは
>岩波委員会訳。真正パウロ書簡より後ろに配置されているよ
こんばんは、
やはり、最近では言語分析学もすすんで、
誰が書いたかとなると、かなりはっきりしないらしいですね。
洗礼者ヨハネ
ヨハネによる福音書
ヨハネの黙示録
のように、同じ名前ですが、みんな別人。
パウロもそうだし、
まだ男性は、言語分析で別人と解析されたりが
ようやくできてきたのですが、
マリアにいたっては、文章的な解析もできなので、
どのマリアであるのかさえ足がかりがないのです。
なので、誰がでなく、
ポイントは訳と読解能力になるのです。
さらに霊的書き物ですから
詩をよむ訓練もできていないとだめといった
何重もの狭き門があります。
パウロでない。聖書の場合人物というよりも
ある種の記号だと思っておくがよい、
人物にこだわっては
どうでもよい事にいってしまう、ということを
現在では分かってきていますよね。
で、ここまで来たなら、携挙に関して、
誰が言ったよりも、
何が大事な事か。
ですね。